将軍を追って天下を樹立する
斎藤 道三 - 戦国大名(美濃の蝮
バンドマンを経て、現在はFITという大学でインテリアデザインを学んでいる原田進歩。 マンハッタンにオープンするレストランのデザインのコンサルタントや、いくつかのプロジェクトで、映像制作やライターとしても活動中。 そんな彼の野望は、 マンハッタンのど真ん中に平屋の図書館を建てる事。そして、「世界に畳を踏ませる事」。 髪も切らず、就活もせず、ずっと中途半端で生きてきた彼は、「中途半端」を極めることを決意した。 日本を愛し、大きな野望に燃える、挑戦者サガットの人生をLIVE!
対談者:Dragon
仕事のお客さんとして知り合う。外人に畳を踏ませたい、だから和風の図書館をマンハッタンに創ると聞いて、絶対アタマおかしいと思いつつ、おもしろいので仲良くなる。もちろん溜まり場に勧誘。
本文はすべて司馬遼太郎「国取り物語」から抜粋
20歳還俗して松波庄九郎と名乗る
男の男たるゆえんは野望の有無だ
王にはなりたくないが、
将軍、 それがむりならば
せめて国主になりたいものだ
夢も見られぬやつにろくなやつはない。
いますぐ実現できずとも
おいおい築きあげていく。
陰口は言いたい奴に言わせておけ
21歳乞食同然の暮らしをする
物乞いはするが、
将来に望みはもって生きておる。
一椀の望みで夢をうしなうようなやつを、
乞食とはいうぞ
26歳国取りの夢を追い美濃へ
やはり武将になることだ。
一国一天下をとって、
社寺からかような愚権を奪い、
楽市楽座にしてしまわねば世は繁盛せぬ。
33歳頼芸の守護補任に大きく貢献。長井新九郎規秀。
わしは将軍になれる。本当だ。
おれは夢想家ではない。
夢想家というのは、いつも縁側にいる。
縁側で空をながめている。
空から黄金でも降ってくるのでは
ないかと思っている。場合によっては、
空に賽銭を投げる。神仏に祈るというやつだ。
わしにとって神仏は家来でしかない。
わしのために働く。働かねば叱る。
叱って聴かなければ、
仏像、仏閣、社殿を破壊して
人の住む地上から天井へ追っ払ってやる。
わしは現実に動いている。
わしはいつも街道にいる。
街道にいる者だけが事を成す者だ。
街道が千里あろうとも、わしは一歩は進む。
毎刻毎日、星宿が休まずにめぐり
働くようにわしはつねに歩いている。
将軍への街道が千里あるとすれば、
わしはもう1里を歩いた。
小なりとも美濃の小児頭になった。
41歳頼芸とともに頼純と激突し、戦火は美濃全土へ
人の一生も、詩とおなじだ。
なかでも転が大事である。
この転をうまくやれるかやれないかで、
人生の勝利者であるか、
ないかのわかれみちになる。
詩でも転がもっともむずかしい。
人の一生では、なおさらむずかしい。
人の一生にはな、二度か三度、
こういうことがある。
そのときにな、どうするかが、
英雄と凡人とのわかれめだぞ。
48歳頼芸の居城大桑城を攻め、尾張へ追放
このわしに本来主人などはない。
時代だ。時代というものよ。
時代のみがわしの主人だ。
時代がわしに命じている。
その命ずるところに従って、わしは動く。
時代とは、なにか。天と言いかえてもいい。
王家が古びて時代を
担当する能力を欠くようになれば、
天命革まり、天は英雄豪傑を選んで
風雲の中に 剣をもって起たしめ、
王家を倒して新しい政治を布く。
これを革命という。
革命児には本来、主人はない。
あるのは、ただ天のみ。
49歳事実上の美濃国主になる
いつのまにか、老いた。
もう一つの一生が欲しい。
天がもう一回一生を与えてくれるならば、
わしはかならず天下をとる。
とれる男だ。
53歳籠城戦で織田軍を壊滅寸前にまで追い込む
波こそ、用兵の真髄である。
怒濤のごとく打ち寄せ、寄せては退く
将になるほどの者は、
心得があるとすれば信の一字だけだ。
約束した事は破らぬ、 という信用だけが人を寄せ、
次第に心をよせる者が多くなり、
ついには大事が成就できると思っている。
乱世ではほとけもマムシのような姿をしているものさ
60歳家督を子の斎藤義龍へ譲り、自ら道三と号す
人間の世にしくじりというものはないぞよ。
すべて因果にすぎぬ。
なるほどわしの場合、
昨日の悪因がきょうの悪果になったが、
それを悪因悪果とみるのは愚人のことよ。
絶対悪というものは、
わしが妙覚寺本山で学んだ
唯識論、華厳論という学問には無い。
悪といい善というも、
モノの片面ずつにすぎぬ。
善の中に悪あり、悪の中に善あり、
悪因悪果をふるがえして善因善果にする者こそ、
真に勇気、知力ある英雄というわい。
野望『将軍を追って天下を樹立する』
一国を奪ってその兵力を用い、
四隣を併合しつつ、
やがては百万の軍勢を整えて京へ押しのぼり、
将軍を追って天下を樹立する。
もはやわしの天下には、
神人などというばけものをゆるさず、
徳政などの暴政はなさず、
商人には楽市・楽座(自由経済)の権をあたえ、
二里ゆけば通行税をとられるというようなことを
やめて関所を撤廃し、
百姓には一定の租税のほかはとらず、
天下公郷には御料を献上して
お暮らしの立つようにする
生き方『道徳、法律、神仏などには支配されぬ。いつれはそれらを支配する者になるのだ。』
人の世の面白さよ。
人は、群れて暮らしている。
群れてもなおお互いに暮らしてゆけるように、
道徳ができ、法律がでた。
人間ほど可憐な生きものはない。
道徳に支配され、法律に支配され、
それでもなお支配され足らぬのか
神仏まで作ってひれ伏しつつ暮らしている。
しかしわしだけは、
道徳、法律、神仏などには支配されぬ。
いつれはそれらを支配する者になるのだ。
贈る言葉『人間、思いあがらずになにができましょうか。』
人間、思いあがらずに なにができましょうか。
美人はわが身が美しいと
思いあがっておればこそ、
より美しくみえ、
また美しさを増すものでございまする。
才ある者は 思いあがってこそ、
十の力を十二にも発揮するこができ、
膂力ある者は わが力優れりと思えばこそ、
肚の底から力が わきあがってくるものでございます。
今後の挑戦
- 20xx年 将軍を追って天下を樹立する
BIOGRAPHY
- 00歳山城乙訓郡西岡に生まれる
- 11歳京都妙覚寺で法蓮房の名で僧侶となる
- 20歳還俗して松波庄九郎と名乗る
- 23歳油問屋の奈良屋お万阿に入り婿する
- 24歳奈良屋庄九郎と名乗り油屋商人になる
- 25歳奈良屋を山崎屋に改め主人になる
- 26歳国取りの夢を追い美濃へ
- 28歳美濃守護土岐氏小守護代の家臣となる
- 30歳長井氏家臣の家名をつぎ西村勘九郎正利
- 33歳頼芸の守護補任に貢献し長井新九郎規秀
- 41歳頼純と激突し、戦火は美濃全土へ
- 44歳斎藤の名跡を継いで斎藤新九郎利政
- 45歳居城稲葉山城の大改築
- 47歳頼芸との対立抗争が開始
- 48歳頼芸の居城大桑城を攻め尾張へ追放
- 49歳事実上の美濃国主になる
- 53歳籠城戦で織田軍を壊滅寸前にまで追い込む
- 54歳娘を信秀の織田信長に嫁がせる
- 58歳濃を完全に平定
- 60歳家督を子へ譲り、自ら道三と号す
- 63歳息子の謀反により戦死
- 20xx 将軍を追って天下を樹立する