田中 太山(Taisan Tanaka) - 書画家

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あたしの存在が勇気になればいい

 
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田中 太山(Taisan Tanaka) - 書画家

独学で軽いノリから書画を始めたという太山さん。2000年、路上アーティストをしながら日本全国を放浪。その後、20代半ばで銀座に画廊を持ち、有名美術館での個展や数々のパフォーマンスを経験し現在の地位を築く。独自の書画スタイル「笑文字(えもじ)」の教室は年間3000人を超える大盛況ぶり。今や日本を飛び出し世界各地で数々の個展やパフォーマンスを行うまでに登り詰めた彼。運と行動力だけでここまでやってきたという太山さん曰く、「前向きな気持ちがあれば大丈夫」。一体彼のような生き方はどうやったら可能になるのか!?勝負をかけて移り住んだニューヨークへ至るまでの道のりから、太山さんの持つ独特の生き方や哲学に迫ります!


対談者:Akimi Okuda

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インタビュー当日、丸メガネに阪神タイガースの帽子という出で立ちで登場した太山さん。「初めまして〜!」と満面の笑顔で迎えてくださった口元には、「太山」と赤字で埋め込まれた差し歯がキラリ(笑)。その理由を尋ねると、「あたしの体も大事な作品なので、作品同様この歯にハンコを捺しています」との答えが返ってきました。なんだか面白い哲学を持っていそうだと感じ、いろんなことを根掘り葉掘りインタビュー!

 

渡米勝負をかける場所として選んだニューヨークく

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― ニューヨークにはどうして来られたんですか?
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あたしはもともと路上アーティストからスタートしていて、しかも全く独学で絵とか文字を書くことを始めたんですね。で、今年でこの仕事をして18年になるんですけど、次のステージに行くためには勝負かけなあかんと思って。

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― 勝負かけるにはニューヨークだろう!って感じで来られたんですか
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自分を次のステージに上げるんだったら、日本にいるだけではもうダメだなって思ったんです。 あたしは美術のキャリアもなければ、美術学校にも行ってないし、独学でここまでやって来た。 そんなあたしが次のステージに行くには、自分で自分の価値を上げてかなきゃいけないって思ったんです。そのために選んだ場所がニューヨークでした。

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― 実際ニューヨークに来られてどうでしたか 
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あれ、やべー売れねーぞってなりました。 これまでもいろいろ外国で仕事をやって来てたんですけど、結局そういうところでは日本好きの外国人が来るジャパンフェスなんかのイベントに出てたんで作品が売れたんです。 でもニューヨークでは、そもそも日本好きでも何でもない人たちに向けて発信をしてたので、反応もふーん。。。くらいで。

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― その反応はちょっと悲しいですよね。売れないからやっぱり日本に帰ろうとか思わなかったんですか
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日本に帰るつもりはなくて、もともと退路を絶ってこっちに来てるので、それは考えなかったですね。

35歳糖尿病を発病し、勝負をかけなあかんと決意

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― 退路を絶ってまで勝負かけなあかんって思ったのには、何かきっかけがあったんですか?
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これあんまり公表してないんですけど、35の時に体調が悪いなと思ってたんです。で、病院で色々検査した結果、先生から「糖尿病で、悪い人の倍悪い」って言われたんです。

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― すごい進行してたってことですか!?
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年内に死ぬよって言われて、マジッすか?そんな悪いんですか?って。 糖尿病のすごく悪い人って、末端神経が死んで行くんですよ。目とか手先が使えなくなるとか。目が見えなくなって手が使えなくなったら、仕事になんねーじゃんってなりましたね。

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― それって致命的ですよね。今は大丈夫なんですか?
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その時、先生からは唯一の救いとして痩せることを提案されたんで、30キロ落として、インスリン注射もやって飲み薬もやって、1年かけて注射も薬もいらなくなったんです。 でも糖尿病って治る病気じゃなくて、いつ悪くなるかわからないんですよね。

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― そうなんですか!?じゃあ今もいつ再発するかわからない状態なんですか? 
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数値は健常者のレベルにはなったんですけど、元の因子はずっと持ったままで、いつ悪くなるかもわからない。

年内で死ぬって言われたのが35の年の4月だったから、残り8ヶ月しか余命がないってことでしょ。死の宣告を一回されてるわけです。

だから、今もいつ死んでもいいやっていう気持ちで生きてます。

NYでの現実売れない事実に遭遇

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― そんな死を身近に感じるような経験もあって、勝負かけるって覚悟を決めてニューヨークに来られたんですね。でも、実際来てみたら売れないっていう現状に遭遇して、焦りましたか?
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うーん、もともと路上アーティストからスタートしたわけなので、そんなに深刻にも考えてなかったですね。

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― 売れないってわかっても、わりと平気だったんですか?普通ならすごい深刻に考えちゃうと思うんですけど。
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うちの母親が「なるようにしかならへんから。人生は一直線に線を伸ばしたら、平坦やから、ええ時もあれば良くない時もある。必ずええ時はあるから、まあ生きてみなはれ」っていつも言ってました。その母の教えがあったから、何があってもいつもどうにかなるやろうって思ってるからじゃないですかね。

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― 英語は問題なかったですか?
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英語一切喋れません。未だに。相変わらず片言。アメリカ来たら勝手に喋れるようになるって思ったけど全然喋れない。

でも、コミュニケーション能力だけはズバ高いんですよ。英語喋れへんのにめっちゃ喋りかけにいきますから。そうすると、めっちゃ興味示されてると思って喋ってくれる。だから行動力でなんとかなると思う。

22歳軽いノリから独学で書画を始める

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― そもそも独学でこういう絵や書を書く仕事を始められたということですけど、何がきっかけだったんですか?
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もともと19から21歳まで飲食店をやっていたんですけど、その頃は若かったのでお金がなくて、看板とかメニューとかも自分で書いてたんです。そしたらお客さんに、こういうものを仕事にしてやってみたらどう?って言われて、単なる軽いノリで始めたんです。

当時は書は書いてなくて、もともと絵を描くことが好きだったので絵から始めたんです。

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― どういう絵を描いてたんですか?
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いろんな画材を使って、イラスト的なものとか、お客さんの似顔絵なんかを描いてたんですけど、本当に素人レベルの絵の好きな人っていう感じでしたよ。

で、これ好きだから仕事にしてやるわって言って店辞めて始めたんですけど、素人だから、いったいどうやって売ればいいのかもわからなかった。

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― どこから手をつけられたんですか?
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まずはとりあえず、絵とかを飾ってそうなところに、作品を置いてくださいってお願いして回ってたんです。けど、全然素人レベルなのでどこにも相手されることなく。そうこうしてるうちに貯金も底をつき、家賃も払えなくなり。

路上アーティストへ1日70〜80枚絵を描く日々

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― 早速、八方塞がりになったんですね
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どうしようかなと思ってた時に、その時住んでた広島に、東京から旅をしてきていて路上で絵とか字を描く人に出会ったんです。

その人に、こういうのは路上でやりゃいいじゃんって言われて、そこから路上アーティストをやってみようかなって始めたわけです。

その当時はほとんどそういう人は世の中にいなかったんです。

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― 実際路上でされてみてどうでしたか?
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最初はゆるーいなんてこともないイラストだけを描いて並べてたんですけど、全然売れなくてダメでしたね。

そしたら、あるお客さんからこの絵のタッチで似顔絵を描いってって言わたんです。

そこからだんだん似顔絵の方が人気が出て多く描くようになっていきました。

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― どれくらい描かれてたんですか?
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ハガキサイズで1日70~80枚は描いてましたね。でも、1枚100円でやってたんで、それでも1日1万円も稼げなかったんです。

そうこうしているうちに、その東京から来たアーティストから、東京でやっているアートの大きなイベントがあると聞いて、これからこの業界で仕事をしていくんだからって思ってすぐ申込書類を送りました。

で、それと同時期に、とりあえず売り込みでいろんなTV局や雑誌とかに自分の資料を送っていたんです。

そしたら、あるTV局にヒットして、あなたおもしろいから取材させてって言われて。

その時ちょうど家賃も底をついて住んでたところも出ないといけなくなったので、じゃあちょうどそのイベントに出るために東京にも行くし、東京まで旅をしながら作品を作っていこうと思いついたんです。

その旅をTV局がロケすることになりました。

東京への進出TV取材から繋がっていった縁

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― すごいですね〜密着取材ですか!
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その当時有名なゴールデン枠のTV番組で、前半は売れているアーティストの紹介、後半であたしなんかのまだ売れないアーティストの紹介をするものでした。

前半に有名な人が出ていたので、あたしのことも観てくれた人が結構いましたね。

そこから声がかかることもあったんで、TVの力は大きいなってその時思いました。

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― じゃあそのTV番組取材も兼ねて東京のイベントに出て、結果どうでしたか?
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当時からあたしのようなスタイルはあまりいなかったから、いろんな人が名刺を置いていってくれてたんですね。

イベントが終わってその人たちに書類を送っていったら、ある人から電話がかかって来たんです。お台場にある商業施設のショップ担当の人でした。

8月お盆の時期に、うちの商業施設を路上アーティストの集まる場にしてイベントをやるんだけど、あなた面白かったから良かったら出てみない?って言われたんです。

その当時はそんなお仕事もいただいたこともなかったし、リアルにお金もなかったので嬉しくて。

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― じゃあお給料も出たんですか

ないない。でも場所代いらない代わりに、売り上げは全部持って行っていいよって言われたんです。

ただ一つ条件があって、お客さんに投げ銭で値段をつけてもらうということだったんです。これは困ったなと思いました。

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― そうですよね、それまでつけられてた1枚100円かもしれないし、それ以下しか入れてもらえないかもしれないし
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そうなんですよ、でも実際やってみたら、生活できるくらい売り上げがあったんですよ。

みんな結構高額を入れて行ってくれてたんです。

今まで俺100円でやってたのは安かったんだって思いました。

結局、1週間で一ヶ月は生活できるくらい稼げてしまったんです。

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― めっちゃ凄いじゃないですか!
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その当時のお台場って、夏休みということもあってめちゃくちゃ人気の観光地だったんですよね。

リピーターのお客さんも半端なかったから、結局イベントが終わった後も、担当者からこれからもいてくれた嬉しいなーって言われて、そのままお台場に2年くらいいたかな。

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― じゃあ結構な稼ぎになりましたね
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夏の間は月々、軽自動車が買えるくらい稼いでましたね。

でも、お台場って冬になると寒いから人来なくなるんです。

夏の間の稼ぎは調子に乗って使ってたから、冬の間は収入がなくなって、やべー生活できないってなりました。

 

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― またしても窮地に陥ったんですね
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そうですね、でもその時たまたま芸能関係の人と仲良くなって、クラブでイベントあるからおいでよって誘ってもらって、そこで月に1回大作書画ライブパフォーマンスやお客さんの似顔絵を描いてたんです。

それをみた人からうちでもやってほしいってイベント関係の人から声がかかるようになりました。

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― ピンチになったら必ずどこかから声がかかるんですね
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いつも誰かが必ず手を差し伸べてくれるんですよね。

この頃から通販も始めて、平日は通販で週末はイベントやお台場でやってって、結構軌道に乗って忙しくなっていたんです。

一発目出させてもらったTVが有名なゴールデン枠の番組だったから、それをみた人からも問い合わせがきて、そこから他のメディアにも取材に来てもらって、というようにどんどん繋がっていったんです。

23歳腱鞘炎になったことで、筆を使って描くスタイルが誕生

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― いい意味で他力本願な生き方をされてるんですね
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そう、人から言われたことに乗ってみる。

あんたもっとこうしたほうがいいんちゃうんって言われたことに素直に乗ってみる。人の意見を聞くのが一番。

あたしの今やってる筆文字も人の意見から生まれたものですよ。

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― そうなんですか?
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そう、友人の一言で生まれたんです。

22歳でこの仕事を始めた頃はずっとボールペンと色鉛筆を使って似顔絵を描いてたんですね。

そしたら1~2年した頃に描きすぎで腱鞘炎になって、お箸も全然もてなくなったんです。

で、その頃の絵描き仲間に、筆は筆圧かかんないから筆使ったら?って薦められたんです。

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― じゃあ腱鞘炎にならなければ、筆で書くっていう発想自体も生まれなかったんですね
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全くなかったっす。腱鞘炎になったから、筆文字が生まれたんです。

最初は筆で似顔絵だけ書いてたんですけど、そしたらあるお客さんから相田みつをが好きだから、似顔絵に筆で文字も書いてって言われたんです。

これが、絵と文字を組み合わせて作品にし始めたきっかけです。

それが評判になって、そのおかげで今こうして世の中に出られているんですね。

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― 腱鞘炎になって、ペンを筆に持ち替えたら、作風が一気に広がったんですね
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そうですね。そこから相田みつをさんをみたり、音楽が好きだったんで音楽の歌詞なんかで文字を勉強するようになったんです。

そうやって自分なりに文章を作るようになりました。

ちょうどその頃になると路上で筆で文字を書く人なんかも出始めていて、あーこれか!これが今流行ってるんだな、じゃあやっとこう!って感じでした。

それまでは絵だけだったのが、絵と文字を組み合わせた仕事や、あと文字だけのお仕事とかも来るようになりました。

でも逆に、それまではカラーの絵を描いてたのが、腱鞘炎で色鉛筆を使わなくなったから、黒と朱色しか使わなくなりましたけどね。

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― 何か理由があったんですか?
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あたしみたいな才能のない人間が才能のあるように見せるにはどうしたらいいかって自分なりに考えて出した答えが、一色か二色使いだったんです。

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― カラーより一色二色使いの方が才能あるように見えるんですか?
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そう、文字一色なら、ハンコを押せばそれだけでプロっぽく見えるんですよ。で、二色だったらどんな下手なものでもオシャレになるんですね。

しかも、朱色っていうのは日本にしかない、鳥居の色です。これで10何年やって来ていて、今はうちで売れてるラインナップになってます。

文字を絵にデザインするあたしの代表作の「笑文字-えもじ-」はその一つですね。黒と朱色っていうのは、アメリカでもヨーロッパでもどこでも見ないですしね。

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― 人との繋がりとか、人からのアドバイスとか、偶然の出来事とか、そういうものをうまくキャッチして今まで来られたんですね
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そうですね。そうやって生きていれば、なんとかなるさってことです。

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― お母さんの教えですね。お母さんの生き方や考え方は太山さんにとって影響の大きなものでしたか?
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そうですね。厄年の時に母親に、厄年やからいいことないわーって言ったんですね。

そしたら「あんた今までいいことなんて一個もなかったやん、だからあんたの人生はずっと厄年やで」って言われたんです。

子どもにそれ言うか!?って思ったけど、それから考え方が変わって、そっかずっと厄年なんやって思えたら、良くないことが起こっても、さあどうやって対処しようって思えるようになったんですね。

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― 物事をネガティブに取るんじゃなくて、自分にとって都合のいいように考えるってことですね
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ニューヨークは特にそういう考え方じゃないと生きていけないと思います。怒ってる人や神経質な人にええこと来ます?

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マンハッタンにビル一個買いたい

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― 今はニューヨークで活動できているわけですけど、これからの夢や目標ってありますか?
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あたしマンハッタンにビル1個買いたいんですよ。

それをアーティストとかお金ない子達が住めるようにしたい。

そうして売れない奴がマンハッタンのど真ん中で個展とかできたら面白いですよね。

 

あとは、ニューヨークにいるなら、最低METかMOMAで作品展か大作書画パフォーマンスをやりたい、最低ね。それぐらいやっとかないとなって思ってます。

それをどうやったらできんだろうなーって思ってます。

 

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太山流生き方幸せのハードルを低くすると、人生はうまく回る

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― 太山さんって、あんまり切羽詰まったり、力んだりすることってないんですか
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ないですね、基本ノンストレスのタイプの人間なんで。こんなふわっとした感じでずっと生きてるんです。

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― どうやったらそんな生き方ができるんですか?
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幸せのハードルが低いんですよ。ハードルの低そうなところに自分の喜びを設定したら、基本人生うまいこと回っていきます。

幸せのハードルが高い人は、いくらお金を持っていても本質的に自分の大事なものは見えてこない。

自分の幸せのハードルを下げていくと、考え方が変わるし、運があると思えるようになる。

 

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― 他にも太山さんみたいな生き方をするのに必要なことってありますか?
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人にたくさん出会うこと。

特にニューヨークにはいろんな人種、いろんな階級層の人がいるから、人に会いにいく。

でも手当たり次第に会いにいくんじゃなくて、自分が声かけたくなる人を想像して、そんな風に自分がなれてるかな?と客観的に見たうえで、本来の自分をさらけ出している時に寄って来てくれるような人に会いにいく。

メッセージあたしの存在が勇気になればいい

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― 最後に、これから海外にでようかどうしようか迷っている若者にメッセージをお願いします
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あたしは、才能もなくて運と行動力でここまで来た人間です。

だから、素人レベルの田中太山でもできたんだから、俺でもできるんじゃないかっていうところに位置付けられたいんです。

 

あたし、和歌山県の太地町っていう田舎の生まれなんです。

そんなちっちゃなところから出て来てニューヨークで暮らしているっていうことが何かのプラスになればいいなって思ってます。勇気になればいい。

あんな田舎から出て、独学で書とか絵でやっていけてるんだから俺でも大丈夫だって思ってもらいたい。

だから苦労もしてると思いますけど、苦労は見せない。

 

あたしの記事はきっと、海外に出てみたいけど英語も大してわからないし、どうしていいか方向性を見失っているっていう人に読んでもらうのがいいんじゃないかなって思います、多分。

それでも大丈夫じゃね?って思ってもらえたらいい。

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田中 太山(Taisan Tanaka) - 書画家

海外飛び出し年齢:37歳

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