猿丸 浩基(Hiroki Sarumaru) - ピザ王
日本にニューヨークピザムーブメントをく
ピザをこよなく愛する男、猿丸 浩基。自分がおいしいピザを食べたいからと、ニューヨークでピザ修行。 2012年10月15日より日本でニューヨークピザの店をオープンさせるために東京帰国。 日本をこよなく愛し、幼い事からピザばっかり注文していたという彼は、腕にピザの入れ墨までいれてしまった。 そんなピザ一筋にみえる彼だが、ピザはあくまでスタート地点だと語る。いつかは世界にビジネスをしかけ、いずれ日本を動かすために政治家になる、という野望を秘めている。 大きく一歩を踏み出した、彼の生き様をLIVE!
対談者:Dragon
ニューヨークで仲良くなったひろき。共通の友達が多く、同年代ってことですごく気があった。日本が大好きで、日本のことを真剣に考えてる熱い男。まずはピザを極めると入れ墨までいれた本気の男。中学中退、ホームレス生活、などアブノーマルなカッケー生き方に刺激をうけ、溜まり場に勧誘。
10歳1人でドミノピザを頼み出す
幼稚園の頃の夢はたこ焼き屋さんと
マクドナルドのフライドポテトを
吐くくらい食うことだったんだけどね。
でもちょうどその頃見た、
タートルズとETにPizzaが出てきたのが、
かなり今のPizza好きになる
きっかけになったと思うよ。
視覚入りしたよね!
小学校の高学年では、
一人でドミノピザ注文して食べてたし、
レギュラークラフトにペパロニと
イタリアンソーセージトッピング!
これ以外は食わなかったね。w
14歳体重が98キロに! ハワイへ!
なんとなくダーツの旅という
テレビ番組を見ていて、
真似して関西でヒッチハイクの
旅をやってみたんよ。
野宿もやってみた。
初めて旅をして人と触れ合い、
優しさに触れたことに
感動したのを覚えてるなぁ。
それで味をしめて、
ハワイに1人旅に行くことにした。
親は、 反対したけど、
ハワイにあるひぃーじぃーちゃんの
お墓を見に行きたい!
悪いことをするよりマシやろ!
って言って説得して、
行かせてもらったな。w
色々大変だったよ。
当時、多分今もだと思うけど、
ハワイは未成年が1人でホテルに
泊まることが法律で禁止されてたから、
現地の旅行会社の人が
保護者になってもらえるようにしてもらって、
ようやく行けるようになった。
一週間初めて言葉も通じない場所に
1人で行って、全部1人でやった。
買い物も、食事も、移動も。
当時の中2の自分が感じた刺激は
計り知れなかったと思うよ。
そう。このハワイで
NY style Pizzaに初めて出逢って。
小さいながら、
slice売りに感銘をうけたのを覚えてるね。
日本でやれば絶対に流行る!
そう思ったのは、その時だったわ。
なぜ日本にはデリバリーだけで
スライス売りが無いのか疑問に
思ったのを今でも覚えているな。
18歳夢はカフェを経営すること
そうだね。
いっぱい寄り道してたねw
高校時代は
学校側の反対を押し切って
一人暮らし開始してて。
ま〜それは、それは遊びました。
長崎で有名なミュージシャンに
たまたま出会いラップの歌詞を
褒めてもらって、数々のステージに
ご一緒に出させて頂きました。
伝説の海辺のBarで働いたりもした。
この頃に出会った人達のおかげで
表現する楽しさを学んだ。
22歳6万と寝袋とリュクサックだけを持ち、キセルで関西から東京に上京
ちょうどグループの解散とか
色々重なった時期で。
何を思ったか2007.11.11のポッキーの日に、
6万と寝袋とリュクサックだけを持ち、
キセルで関西から東京に上京したよ。
漫画喫茶や、
寝袋での野宿生活を渋谷でおくってたね。
コンビニの前で
ラーメン買おうか飲み物買おうかって
真剣に悩んでたときに
自分の情けなさに
ほんとくやしくなったよ。
サラ金から借金して、
ようやく住まいを確保して、
初めての治験を体験して
一ヶ月入院生活を送って、
毎日何回何回も注射をされ、
薬を飲んで、なんとか42万手に入れたよ。w
そのあと某大手AV会社の面接を
ネタで受けたところ、
面接で披露した作りたい
AVの話しが評価されて、
是非働いてもらいたい!ってなったこともw
頭を下げられるも勇気が無く辞退したけどね。
アパレルの販売員のバイトをしながら、
俳優業に興味を持ち、
スクールに通いながら
アクティングの勉強したよ。
でも結局俳優のスクールは
バイトと同じ日に辞めた。
その日に呼ばれたイベントで
出会った絵描きの女の子に
恋をして六回告白して、六回ふられて。
その子に、なにもかも中途半端でダサい!
と言われてショックのあまり、
将来を考え始めたよね。w
これのおかげで、
自分を真剣に考えることができて、
彼女には本当に感謝してるよ。w
今でも、ピザ屋を作ったら
彼女に1番初めに
食べてもらいたいと思ってる!
最終的にはふらっと通りがかった
アルマーニに入って行って
働かせてください!っていって。
そこで今でも尊敬してる人に
出会ったんだけどその人が
気にいってくれて。
じゃぁ明日からおいでって。
でも次の日から治験で
1ヶ月入院しないといけなかったら、
結局1ヶ月後から
バイトさせてもらったよw
24歳ニューヨークに行くことを決意
バイトをしていた会社の社長に
NY ピザ屋の話しをしたら、
何をもたもたしてるんだ!
早くニューヨークへ行ってこい!
その、言葉でニューヨークに
行くことを決めたね。
24歳お金を貯めて1ヶ月ニューヨークへ
全然。w
それでお金を貯めるために
輸入業の会社に就職したよ。
収入は、三倍になって。
ほかにも実体験をもとに脚本を書いたら、
映画を撮ることになったり。
仕事中に交通事故に巻き込まれ、
意識不明の状態が
続いたこともあったけどね。
無事に生き延びた。
そっからリハビリをしながら、
日本全国の有名なPizza屋さんを
巡る旅に出て、
とくに、沖縄のPizza事情には
感動した。
それでやっと
一ヶ月ニューヨークいって
ありとあらゆるPizzaを食いまくって、
カードの請求が16万になったよ。w
25歳帰国し再渡米。決意の証にピザのタトゥーをいれる
帰国して、
日本のピザ屋さんで働いたんだけど、
なんだか納得できずに辞めたな。
そんで25歳 決意の証として
Pizza タトゥーを入れて。
再度、ニューヨークへ一ヶ月渡米。
帰国後に、
visaをとりすぐニューヨークにPizza留学開始。
Pizza屋さんに行くも言葉も通じず、
働けず、手紙を書いて何件かまわったよ。
26歳ニューヨークの世界チャンピオンのピザ屋のもとで働くことに。
NYで生で見たPizzaカルチャーは、
とてもカッコよくて、値段も安く、
お金の無いストリートの若者の
胃袋を満たしてて。
それを目のあたりにした時に、
こんなのあったらいいなぁ~!から、
自分の中で絶対に作らないとダメだ!
と確信に変わって。
東京にも、NYと同じように
ストリートカルチャーに根付いた
Pizzaの文化を持って帰るべきだ!!
そして、Pizzaをもっと
身近な食べ物にするべきだ!!
って強く思ったよね。
そこから、日本国内の気になるPizza屋を
訪ねては話しを聞き、
東京で沢山のアーティストや経営者の方と
話すうちにPizza屋を開くには、
NYに住んでもっと本場のNY PIZZAを
学んでこないといけないのだと思って、
それで2011年8月からNYにPizza屋で
働くため一人で向かったんよ!
たまたまニューヨークピザの
世界チャンピオンと知り合いの
フォトグラファーと
自分の誕生日会で知り合って。
そっからは毎日ピザ屋で働いたよ。
26歳ニューヨークの世界チャンピオンのピザ屋のもとで働くことに。
そう。
ブルックリンでストリートカルチャーと
からめたPizzaイベントだったんけど。
150名の来客があり大成功だった。
第二回は400人来てくれて 大大成功だったね!
生き方『愛と人稼ぎをしたいですね!w』
やっぱり、下の代にも上の代にも、
夢や希望をみせれる生き方をしたいね。
ビジネスに関しては、
金稼ぎをするのでは無く、
愛と人稼ぎをしたい!w
生き方『愛と人稼ぎをしたいですね!w』
やっぱり、下の代にも上の代にも、
夢や希望をみせれる生き方をしたいね。
ビジネスに関しては、
金稼ぎをするのでは無く、
愛と人稼ぎをしたい!w
贈る言葉『何を迷うことがあるのか?』
日本の価値観や常識だけで、
人生を過ごすなんてもったいないよ!
それぞれの国や人種によって
異なった価値観と常識があるし、
正義と悪も多少変わってくる。
それらを見たり体験するってことは、
とてつもなく素晴らしいことだと思う。
僕は、ニューヨーク住んで
価値観を変えられたし、
日本のことをもっと好きになれた。
まっ!とりあえず、
海外に行けば100%の確立で
刺激や新しい情報が手に入るわけだから、
何を迷うことがあるのか?
行きたいと思うなら、
どうにかして行くべきだよ!!
今後の挑戦
- 2013年 ピザ屋開店
- 2012年 (株)おもしろくしたい 設立
BIOGRAPHY
- 00歳兵庫県芦屋市生まれる
- 06歳大好きな食べ物マクドナルドのポテト
- 07歳将来の夢は六年間一貫して社長!
- 10歳1人でドミノピザを頼み出す
- 11歳初めて警察に捕まる
- 19歳クラブイベントのオーガナイズを始める
- 13歳合計三ヶ月しか行かない中学校に入学
- 14歳体重が98キロに!ハワイへ
- 15歳長崎の神学校の高校に入学、単身九州へ
- 16歳学園祭でラッパーデビュー
- 17歳夢はカフェを経営すること
- 19歳大阪芸術大学二年制に入学
- 20歳MC活動を関西のクラブで再スタート
- 22歳6万と寝袋とリュック、キセルで上京
- 22歳渋谷で漫画喫茶や、寝袋での野宿生活
- 22歳サラ金から借金して住まいを確保
- 24歳NYへ行くため輸入業の会社に就職
- 24歳日本全国有名なPizza屋さんを巡る旅に
- 24歳一ヶ月NYへ
- 25歳決意の証としてPizza タトゥーを入れる
- 25歳visaをとりNYにPizza留学開始
- 26歳世界チャンピオンのピザ屋で働くことに
- 26歳Pizzaイベント開催。150名の来客。大成功
- 27歳第二回Pizzaイベント。400人来客大大成功
- 27歳日本に本帰国