足立康太(Kota Adachi) - 世界一の高校デビュー
世界一の男になる
バンドマンを経て、現在はFITという大学でインテリアデザインを学んでいる原田進歩。 マンハッタンにオープンするレストランのデザインのコンサルタントや、いくつかのプロジェクトで、映像制作やライターとしても活動中。 そんな彼の野望は、 マンハッタンのど真ん中に平屋の図書館を建てる事。そして、「世界に畳を踏ませる事」。 髪も切らず、就活もせず、ずっと中途半端で生きてきた彼は、「中途半端」を極めることを決意した。 日本を愛し、大きな野望に燃える、挑戦者サガットの人生をLIVE!
対談者:Dragon
幼少期からシンガポール、ロンドンで生活し、2012年にはニューヨークにあるバルーク大学を卒業。現在はニューヨーク市マンハッタン区で、Made in Japanを世界へ発信しようと奮闘している。 イケテナイ芸人だった彼が、金髪の生徒会長となり、世界一を目指すに至ったきっかけはなんだったのか。 自他共に認める鮮やかな高校デビューを飾った、足立康太の生き様をLIVE!
16歳見事な高校デビューを飾る
中2からいじめられはじめて
ほんとしんどくて
半年はたえてたんですけど
もういいやって思って転校しました。
いじめのきっかけは
左手にあるおおきな焼き度傷で
それがすごいコンプレックスで。
夏でも長袖きてて
「なんで長袖きてんの」 って
みんなにいわれても
「さみーだろ」って言い返してたんです。
でもある日それを親に話したら
ぼろぼろ泣き出しちゃって。
それまでシンガポールとロンドンで
ずっと日本人学校にいってたんですけど
インターナショナルスクールに
行くということにしました。
そしたら外国人の自由さ、ガサツさを知って。
もっと自分をさらけ出したいなって
思うようになって。
いつか俺をいじめてたあいつらを
見返してやりたいって 思うし、
母ちゃんを泣かした映像ってのは
一生のこってるから、
絶対母ちゃんを幸せにしたいって思います。
中学のときは
ほんとにいけてない芸人でしたよ
一番いやだったのは好きなもんどうしで
ペアを組めって 先生がいうあれです。
学校のガキ大将みたいなやつと
喧嘩してからフルしかとされだして。
母ちゃんを心配させないために
日曜とか友達と遊んでくるって嘘いって
公園で1日時間つぶしてたりしましたね。
サッカーしたりぼーっとしたり。
高校デビューは完全に成功しましたw
高校デビューすごかったですよー
金髪の生徒会長になりました、
そもそも勉強は大嫌いだったんです。
「高校は中学の勉強のレベルアップしたものだから お前はいかなくていい」
って親にも言われて、
「だったらもう行かねーよ」
って初めは高校いくのやめたんです。
そっからサッカー好きなのもあってヨーロッパいって
イギリス中を旅してまわったりしました。
そしたら日本のことについて
聞かれることがけっこうあって。
でもおれ全然知らなくて答えられなくて
もっと日本を知りたいってなったんです。
だから1年浪人してたんですけど、
高校いくって親にいいいました。
高2から編入しようと思って
勉強してたんですけど
結局高1から入学することになって、
だから成績もずばぬけてたんですよね。w
サッカーでも1年からレギュラーだったし、
そんときについた自信が、
世界一の男になるっていう
今の野望につながってますね。
20歳ニューヨーク州に渡るも田舎すぎて凹む
俺は弱い人間だったんで
セーフティな道は絶対嫌なんです。
だから日本の大学にいったら
日本にいるみんな同じになっちゃう。
サークルいってさぼって
で就職してってなるだろうなって
思ってたから
それが嫌で
セーフティな道を全部きって
いきなりアメリカにきたんです。
俺は世界一の男になるって 豪語してたから、
中途半端なことは できねーって
いつでも日本は帰れる
だから俺はいま日本に帰りません
23歳夢のニューヨーク市へ引っ越し
バルークはいい大学だけど
めっちゃしんどかったですよ。
もう泣きそうでした。
課題とか一冊よんでこい! とかですからね。
もちろん英語の本。
そのとき夜8時から朝までバイトしてたんで
そっから本読んで学校いくみたいな
生活してましたもん。
だからあんだけつらいことやれたから
今はつらいことなんて全くないし
自信がありますよ。
全然英語とか書けないし
しゃべれなかったんだけど、
バルークで鍛えられたおかげで
英語は俄然成長しました。
なんでも入りこむまでは
どうやって入り込むかって手段が
大事ですけど、 一旦入っちまえば
こっちのもんだと思いますね。
入ってしまったら 後はこっちが
死ぬ気でがんばれば
なんとかなるって思います。
26歳アメリカの大学を卒業
バルークは全米で一番
世界中から人が集まってる学校なんです。
だからディスカッションの時とか
価値観が全然違いすぎて、
「それぜってー嘘だろ」 ってことが
しょっちゅうありましたよ。
俺も日本だったらっていう
話をよくしてましたし。
やっぱり日本人がアメリカ人でも
できる話をしても意味ないですから。
実は大学に行く前に通ってた
コミニティカレッジから
ずっと一緒につるんでた
日本人が俺含めて5人いたんです。
でも俺以外の4人はみんな退学になりました。
コロンピアとかNYUとか有名だけど
あそこは普通の生徒に対してBの評価が
つけられるんです。
でもバルークは普通の生徒に
Cをつけるんですよね。
だからきついんだと思います。
もちろん世界中から人が集まってるから
英語がつたないとかは言い訳にもなりませんし。
そもそもアメリカではわからないことを
わからないということが尊いとされてるから、
とりあえず主張しなきゃいけなかった。
でも初めの方は発表するだけで
めちゃくちゃ恥ずかしかったですよ。
500人の授業とかあって、
席が一番前ならよかったけど
後ろの席だと拙い英語で大声で
叫ばないといけなかったんで。
その経験があるから
大勢の前で意見を言う事なんて
もう全然恥ずかしくないですね。
ましてや日本語なら 第一言語ですからね。
26歳日系企業に潜り込む
社長のビジョンに共感しましたし、
もっと日本のプレゼンスをあげたい って思いました。
昔はMade in Japanだったのが
今はMade in Chinaだったりするじゃないですか。
ソニーだってMade in Japanを
売り出していると思うけど
彼らはMade in ChinaのiPhoneを
つかってると思うんですよね。
偏見かもしれないけど
でもうちの会社は自分のものが一番だと
思ってるし 実際使ってるし
だから俺はそれに共感してるし
Made in Japanに貢献したいと思ってる
何より工場の人が 喜んでる。誇りをもってる。
この製品がニューヨークのマンハッタンに
売られている。それで日本の工場にも
どんどん人が戻ってきている。
日本の過疎化を防ぐ
何かに貢献できてると思う。
もちろんそれがでっかいことか
どうかはわからないけど
草の根じゃないけど
そこは本気でやっていきたい
でも一生そこにいようとは思ってません。
昔政治家になろうと
本気で思ってたときがあったんですけど
今なっても自由にできないって思って、
今はやめてます。
そうっすね。
この生き方は本当に正しいかわかりません。
ふつーに日本にいたら
80点で生きられるかもしれない
でも80点の人生をとるより
100%狙って自分を信じてやっていきたい。
そこまでやらなくていいって
いわれることがあるけど。
だからこそやり続けていける男だけが
No1になれる思ってるから
やるしかないっすよね 。
正直めんどくせーって思う事もありますよ
3日に1回くらい w
だから部屋に でっかい字で
自分を奮い立たせるようなものを
書いてます。起きてすぐ見れるように!
野望『ろくでもねぇやつに他の道をつくってあげたい』
俺みたいなやつは
いっぱいいるって思うんです。
石を投げて当たるような
ろくでもねぇやつは
そういう奴に、
スポットライトを当ててあげたい
高校デビューでも
海外デビューでもいい
そういった他の道をつくってあげたい
でも世界一の男になる
生き方『感情のみを指針に行動する。』
時間、お金、他人に左右される事なく、
自分の面白そう、楽しそう、
逆に大変そうという感情のみを 指針に行動する。
贈る言葉『絶対行った方がいい。』
絶対行った方がいい。
良い意味でも悪い意味でも
「世界ってこんなもん」って思える。
ビックリするくらいデカイけど、
そこに辿り着けそうな道も見えて来る。
例え自分には
何も分からなかったという結果でも、
そう思えるだけで大分成長してる。
29歳空振りの3年間
乱世を生き抜く力を蓄えるために、人に会い、勉強し、働いた3年間。・・・って仰々しくいいましたけど実際はめっちゃ普通です。親不知に悩まされ鎮痛剤を昼食代わりにした27歳。ポジティブに明るい人生を送ろうと一生懸命不真面目に生きた28歳。彼女と別れ人生を迷走した29歳。そんな平凡な3年間です(笑)
ポジティブに言えば、本格的にニューヨークの社会に飛び出して、結果を出すことと成長することだけを考えがむしゃらに働いた2年間と、人を動かすこと、まとめ上げることの難しさを学んだマネージャー時代を経て、かっこいい男とは何かを知り、世界で戦うための身なりと心構え、スキル、実行力の低さ自分にはとんでもなく足りないってことが分かりました。
一度初心に戻って更に困難な人生に挑戦するために、30歳を迎える直前のこの2016年末に一旦片道の航空券で日本に帰って挑戦しなおしたいと思います!
今後の挑戦
- 2013年 強い日本を作るべく、脱パンプロジェクトを施行
- 2013年 並びにMade in Japanを誇る商品を世界中に発信し、モノ作りの日本の再起を興す
- 2015年 活動の舞台をヨーロッパへ
- 2020年 仲間達と再結集し、総合商社を立ち上げる
- 2030年 国政進出。欧州列強たちが日本には侍たちがいると恐れていたあの時代を取り戻したい
BIOGRAPHY
- 00歳埼玉県新座市に生を授かる
- 03歳コンプレックスとなる左肘の大火傷を負う
- 07歳家族と共にシンガポールへ
- 11歳謎の漢方で喘息を完治
- 12歳家族と共にロンドンへ
- 14歳ひょんなことからイジメにあい、転校
- 15歳高校に行かず、ヨーロッパを彷徨う
- 16歳浪人生活の末1年遅れて高校に入学
- 16歳見事な高校デビューを飾る
- 17歳生徒会長、バンド活動、サッカー部エース
- 20歳ニューヨーク州に渡るも田舎すぎて凹む
- 21歳貧乏学生のため、オレオと牛乳生活
- 23歳夢のニューヨーク市へ引っ越し
- 23歳日本一周を試みるも事故り夢半ばで散る
- 24歳全米最大級の学生団体で活動
- 25歳アメリカ横断完遂
- 25歳モデル、俳優業に挑戦。迷走しスランプに
- 26歳大学を卒業し日系企業に潜り込む
- 2020 仲間達と再結集し、総合商社を立ち上げる
- 2030 国政進出。欧州列強たちが日本には侍たちがいると恐れていた あの時代を取り戻したい