YOSHI(渡辺好博) - 東京サーカス団長
ハリウッドに出る!
ハリウッドに出る、という夢を持ち、アメリカに出てきた東京サーカス団長、YOSHI。 世界一物価が高いといわれるニューヨークを、路上パフォーマンスで得られるチップだけで生き抜くはんぱない男。「笑顔を世界に。」という理念のもと、東京、アメリカ50州、ヨーロッパ、東北被災地、と各地をまわり人々の笑顔を掘り起こしている。 ハリウッドに出たい!ニューヨーク、東京に劇場を建てたい。横浜みなとみらいにレストランを創りたい!と野望だらけの男。 被災地のためにと36時間踊るぞ!と勝手にイベントを企画し達成した男。路上で腰振りパフォーマンスという、誰にでもできるけど、絶対誰もやらない事を、続ける無敵な男。ニューヨークからカリフォルニアまで歩いていく男。 そんなYOSHIさんのぶれない男の生き様をLIVE。
対談者:Dragon
友達に誘われ、東京サーカスのショーを見にいく。全く意味がわからなかったが、なんか気になって帰宅後HPをチェック。そこでベタぼれし、メッセージを送って会ってもらった。スーパーかっけー男だと未だに崇拝。LiveCollectioNに引き続き、溜まり場にご招待!
05歳Back to the future見てアメリカ行きを決意
子供のときバックトゥザフューチャー見て
これだ!って思って。
ハリウッドに出たい!って。
それだけ。
だから大学もハリウッドに近い、
カリフォルニアの大学にしたし、
専攻も興味のあった映画制作とか
ダンスとか 映画関係のことを学んだよ!
19歳カリフォルニアの大学進学
とにかくお金がなくてねぇ。
親にもお金を借りてたからね。
少しでも負担を減らそうって思って、
バイトならなんでもやったよ。
飲食業はもちろん
ペンキ塗りの仕事や牧場で牛の金玉を切ったり
ヌードモデルや男版のストリップまで、
ほんとなんでも!
24歳Tバックで大学の卒業式に出席
25歳夢破れ最後の悪あがきでアメリカ永住権に応募してから日本帰国
そうだねー。
でも結局は自分が甘かったんだろうね。
振り返ったらニューヨークでの
生活はただバイトして
楽しんでただけだもんね。
26歳東京サーカスを一人で始める
やっぱり夢をあきらめきれなくてね!
とりあえず何か始めようと思って。
それでお金もかからず誰でも始められる
ストリートパフォーマンスを始めたのよ!
それが東京サーカスの始まり。
27歳ニューヨークを本拠地にパフォーマンス開始
それがないんだよねー。w
今までの人生で迷ったことって あんまりないね!
将来やりたいことが 明確にあるからかなぁ。
自分は絶対大丈夫っていう
強い自信だけはあるよね。w
30歳東日本大震災の1ヶ月後単独で被災地石巻慰問
そうだよ。w
実際行ってみるとあまりの凄まじい光景でねぇ。
ボランティアの人たちを見ながら、
考えこんだよ。
笑顔を届けたいということが
本当にいま被災地の人にとって
必要なことなのかって。
正直怖さもあったね。
津波が来てまだ1ヶ月しか経ってなかったから。
でも自分に出来るやれるだけのことをやろうって、
振り切って行ったんだよね。
実際行ってみたら子供たちや親御さんたちの反応は
想像していた以上に温かくて。
もちろん被害状況は絶句するほど
ひどく無惨な光景だったけど、
そこに住む人は僕らとなんら変わりなかった。
僕らがいつも笑いを求めているように、
やっぱり笑う場所をみんな
求めていたのかなって思ったねぇ。
31歳単独でヨーロッパ10カ国を周りパフォーマンス敢行
32歳セレモニー出席のためアメリカ大陸を走って横断
いくよー!
大学の時にすごくお世話になった知人が
亡くなってしまって、
そのセレモニーが6月に
カリフォルニアであるんだけど
それを目指して途中
その人のご家族やお友達を尋ねながら、
その人が残して行った人の輪を
自分の足で走って繋げるっていう
ドキュメンタリーを撮る計画です。
ハイテクな時代だけど人の温もりとか
繋がりを自分自身の体と心で
直接に感じてみんなにも
伝えたいって いう感じです。
33-34歳インタビューから2年後(※挑戦者の歩みは2年ごとに更新されていきます)
行ったよー。
2013年の3月にニューヨークを出発して半年かかって9月にカリフォルニアの目的地に到達しました。6ヶ月で約6000キロ歩いたね。
6月のメモリアルセレモニーには間に合わなかったから一度飛行機でセレモニーだけは出てその後また歩いてたところまで戻って最後までまた歩ききりました。
途中泊めてくれた人がお家に車で連れて行ってくれた事もあったけど次の日ちゃんとそこまで戻してもらってまたそこから歩き始めたよ。徒歩で横断するってことが目標だったからね。。
死にそうな思いもいっぱいしたけどね。ニューヨークを出発した時は大雪だったし、その後吹雪、嵐にもあったな。山の上で凍えそうになりながら朝を迎えたり、雷が目の前に落ちたり、ハリケーンもあったし、シカゴでは丁度洪水にあっちゃってその後アイオワ州、ネブラスカ州あたりでは40度超えてる中何十キロも続くトウモロコシ畑を通ったり。
ワイオミング州を超えてユタを通る頃は人口密度が極端に減るから一週間分の水と食料をベビーカーに乗せて押しながら移動したよ。最高5日間くらい人にも会わなくてやっと人に会えた時は本当に嬉しかったな。
最後その学生時代にお世話になった人のお墓まで歩ききってゴール。本当に沢山の人達と出会って助けてもらっていろいろな事を教えてもらいました。大自然から学んだことも沢山あったよ。
基本ずっと野宿だね。最低週に一度はモーテルでシャワーしたり洗濯したりしたけどね。最初は寝袋も無くてアウトドアショップで売ってる銀色の薄いシートだけ。そこからピザのダンボールの箱をもらって下に敷いて寝てたけどさすがに雪は辛くて寝袋を購入。
食事は街があればレストランにも入ったけど基本は持てるだけの食料をバックパックに詰めて移動してお腹が空いたら食べてた。キャンプ用のコンロを持って行ったからよくラーメンを作って食べたよ。
ワイオミング州から先は2、3日街がないということが出てくるのででっかいベビーカーを購入して、水と食料を押して歩いてたんだけど、ベビーカーを手に入れた後は舗装された道路を行かないと逆に大変で山道なんかは本当に苦労したよ。
野望『ハリウッドに出る!』
いっぱいあるよー!
ハリウッドに出たいし、
東京とNYに東京サーカスの箱も創りたいし、
横浜のみなとみらいにレストランもつくりたいし!
人の笑顔につながること、
世界を相手にすることがやりたいね!
生き方『アル中にはもっと酒をのめっていいたい』
やっぱり人は
とことん好きな道を歩むべきだと思う。
アル中にはもっと酒をのめっていいたいくらいw
人生一度っきりだし
やりたいことやった方が絶対にいいよね!
僕はその生き方しか知らないけど、
心からそう思う。
もちろんいろんなことあるけどね!
贈る言葉『自分に正直に生きろ』
僕はあまり迷った事はないけど
どういう状況であれ
自分に正直に生きろって言いたいかな。
わがままに。
迷ったり悩んだり考えたりする事は
もちろん素晴らしい事だと思う。
全てが上手く行かない時の方がもちろん多いし、
自分が正しいと思ってやってる事でも
必ず敵は出てくるから。
でもどんな時でも
自分のすべてをかけて進みたい道を
進まないと結局生きてる意味が
無い気がするな。
自分に嘘をついても
最後に後悔するのはやっぱり自分だし。
何か困った時は発想の転換が
大事な事を忘れないで欲しい。
ピンチはチャンスって良く言うけど
本当にそうだと思う。
死にたいと思ったら逆に
命を懸けて何かをやってやろうとか。
1度きりの人生だからって守りに入るんじゃなくて、
どっちに転んだって1度きりの人生なんだから
自分に懸けてみるとか。
この世界に今生きてるだけでも奇跡だし、
本当に素晴らしい事なんだから、
今自分がどんな状況にいようと
その一瞬一瞬を楽しまないと損だよね。
ニューヨークなんて物価や家賃も高いし、
いつも街に飲み込まれそうになるけど、
そんな時もその状況を
楽しむくらいの余裕を持って欲しいね。
常に自分の全ての感覚を生かしてね。
みんなを笑顔にしたいと思って
路上で腰を振ってても、
不謹慎だとか気持ち悪いとか
つばをかけられる事もあるけど、
それに対して怒るんじゃなくて
そう言う人達こそ心から笑える社会を
おれは創ってやるんだって。
そんな中一人でも
心から笑ってくれる人がいれば嬉しいし、
本気で何かをやってたら
必ず誰かが見てくれてるし
道は開けてくるはずなんだよね。
不思議なものでね。
何より自分が死ぬ時に
本気で生きてたって思えるはずだしね。
BIOGRAPHY
- 01歳長崎、眼鏡橋の下で拾われる!?
- 05歳Back to the future見てアメリカ行き決意
- 18歳高校卒業後ハリウッドスターを目指し渡米
- 19歳カリフォルニアの大学進学
- 24歳Tバックで大学の卒業式に出席
- 24歳夢を追いニューヨークへ
- 25歳夢破れ日本帰国
- 26歳東京でアルバイトを転々後、就職
- 26歳東京サーカスを一人で始める
- 27歳アメリカ永住権が当選。夢を追い再び渡米
- 27歳単身アメリカ全50州を周りパフォーマンス
- 27歳ニューヨークでパフォーマンス開始
- 29歳村上春樹「ねじ巻き鳥クロニクル」に出演
- 30歳東日本大震災の1ヶ月後、被災地石巻慰問
- 31歳NYの地下鉄でパフォーマンス中に逮捕
- 31歳エジンバラ国際フェスティバル出演
- 31歳ヨーロッパ10カ国でパフォーマンス敢行
- 31歳東北支援のため36時間踊り続ける
- 31歳シンガポール国際フェスティバル出演
- 32歳セレモニー出席のためアメリカ大陸を走って横断
- 33歳徒歩でアメリカ大陸横断
- 34歳徒歩で日本列島横断中