北崎 亜唯斗 - (Aito Kitazaki)-ストリートアーティスト-
人生において大切な事を伝え、残すために絵を描き続ける。
1989年神奈川県相模原市生まれ高校を卒業後、日本の社会の息苦しさに違和感を覚え、アートを通して日本を変えたいと決意。 18歳で人生で初めての作品を原宿に描き残したがあえなく警察に捕まってしまい、日本でのストリートアート活動の難しさを痛感する。2012年、本物のストリートアーティストになるためロンドンへ渡英。Graffik Gallery(ロンドン)やBottleneck Gallery(ニューヨーク)その他(ドバイ、ロサンゼルス)で開催されたグループショーに多数作品を出展。 2014年1月、自身初となる個展"MUGENGIKKOU"をGraffik Gallery(ロンドン)にて開催し、高い評価を受け、一部のアート関係者からJapanese Banksyと評される 。同年4月から、東京に拠点を移し、日本初個展"Life is too short"を皮切りに日本での活動も拡大。アーティスト活動だけでなく企業のPR用デザイン、店舗内壁画デザイン、そしてハンティングワールド、コールマンなどの有名企業にもアートワーク提供を行っている。日本だけでなくセブ島、上海でも壁画デザインを担当。2017年はさらに海外での活動を拡大していき、自身初となるニューヨークでのイベントにてライブペイントも10月に予定されている。
対談者:クニカツ
海外・日本でも活躍中のstreet aritist「亜唯斗」さん。常に自分と対話し考え行動し、飾らない自分の言葉で全てが語れる事に強さを感じました。『生き方を一番考えてる。それを表現する為に絵を描いてるんで。』 と呟いた姿にもシビれました。 乞うご期待!!
幼少期神奈川県相模原市で生まれる。
初めまして。よかったらコレ差し上げます。
有難う御座います。ステンシルって知ってます?
自分の絵の描き方もそうなんですけど、紙があるじゃないですか。それをカッターで切り抜いてその切り抜いた紙をステンシルっていうんですよ。それを壁に当ててスプレーするとその切り抜いた部分に塗料がつくじゃないですか。そうやって絵を描く方法で。
いや。全然ないですね。よくありがちな子で、高校までもほんと普通の子でした。でもただ一貫してあったのは、なんかこう卒業文集とかで、ずっと夢は「有名になりたい。」とか書いてましたね。具体的な何かとかはないですけど。あと自分の母親がけっこう特殊な母親で、その影響とかもあるかもしれないですね。
別に絵が上手いとか、むしろ無茶苦茶下手なんですけど、なんつうんすかね。日本の常識とか逆の事っていうか、なんかこう自分が正しいと思った事は曲げないみたいな。そういう教育をこう自然と受けてた感じですね。母親から。それが多分今けっこう影響されて、作品とかに出てるかもしれないですね。
すごい強い母親だったんすよ。自分の中では。強くて何でもできたんです。だからこそ、自分は、甘えてたと言うか、自分で努力して色んな事をやっていくタイプではなくて、言うなればほんと普通の子供で、フッといなくなった瞬間にいかに自分が何にもできなかった人間なのかと凄い思って、そこから自分が本当にやりたい事を考え出しました。
高校がCGを学べたんですよ。そこからなんか徐々にデザインなのかアートなのかわかんないすけどそういうのが興味が出てきて。ただ、CGを学んでみたものの、やってみたらあんま面白くなくて。けっこうプログラミング要素というか、あんま直感的なものではなかったんで。
18歳日本を面白くしたくて、アート集団を結成する。
19歳バンクシー(Banksy)と出会う。
EPIGRAMでストリートアート的なことはやっていたんですが自分たちの表現の仕方も中途半端だし、人に全然見てもらってる気もしなくて自分の表現の仕方を模索してたんですけど、そんな時にたまたま本屋さんで、バンクシーっていうアーティストの作品集を見つけたんすよ。なんだこれ。ってバってとって開けた瞬間に、もうなんかこう。これだ!!みたいな。俺がやりたいことは。ど真ん中できた感じすね。
そこで初めて知ったんすよ。本物のストリートアートを。それで俺もやりたい。って思って。
そしたらまぁパトカーが現れて、で、やべぇって走ったんすけど。追いかけられて捕まったんすよ。人生初の落書きで人生初警察に捕まって。。。
未成年で初犯だったので、自分が書いたやつ全部消せって言われて、それでなかった事にするって。全部自分で消したんすよ。そしたらその原宿の人達が集まってきて、ボランティアで消してる人だと思われて、原宿けっこう落書き被害がはげしかったんで。「いや~。なんかもうほんと有難う。消してくれて。」ってみたいなw
それが人生初の作品であり人生初ストリートアートの経験で。
有名になってとか、作品を作ってこう、日本を変えてとかそういうほんとバンクシーがやってるような事をやって、母親に見せつけたかったんですよ。俺はこうやって社会に影響を与えるようなアーティストになって有名になった。っていうのを早く見せたかったんですよ。そん時母親は闘病生活中だったんですけど。なのに、より迷惑かけたカタチになって。かなりそん時はブルーになって。何やってるんだろこんな時に。俺は。って。
20歳就職するも半年で退職。
就職して母親を安心させよう。と思って。でも母親は就職した事を反対したんですよ。何故かっていうと、なんかこうわかったんでしょうね。「おまえの本当にやりたい事はなんなのか?」っていうのが。そん時自分の中でも何かを押し殺した部分があるわけじゃないですか。要は。警察に捕まったっていう。法を犯したっていう事で、ストリートアートってものは正しい事じゃないんだ。仕事でもなんでもないし、ただの迷惑行為っていう風にこう思っちゃったわけじゃないですか。あんだけバンクシーに感動してたのに。だからデザイン会社に就職したんですけど、母親は、「どうせやりたくないことやってんだろ。」って。
母親がなくなる前に「海外にでもどこでも行ってしまえ。」って言われてたんすよ。死ぬ前にそれを言われて、いざ亡くなっていなくなって、今まで言われてきた事がこう蘇るわけじゃないですか。、なるほどな。と。なんかもう本当にやりたい事をやれって。いうのをずっと昔から言ってたんだな。ていうのがこうつながったんすね。本当におまえがやりたい事はなんなのか。っていうのをずっと俺に問いかけ続けてて。それが今、デザイン会社就職して。俺がやりたいのはこんなじゃない。結局やっぱりバンクシーになりたかったんだ。やってみたかったんだ。っていうのを再確認して、辞めまして、バンクシーはイギリスのアーテティストなんすね。イギリスに行くしかない。ってそこで決めて。
22歳イギリスにワーキングホリデー。
お金を貯めようっていってバイトしたんです。原宿のカフェで1年間。
その時にワーキングホリデーっていうのがあって、イギリス2年間いけるんですね。だいたいワーキングホリデーって1年間なんですけど、イギリスだけ2年間で。
尚且つ人気な国なんで倍率が宝くじ並みに通らないんですよ。1000人しか無理で。
でもなんか100%行くって思い込んでて、そしたら結局通ったんす。なんかそっからそんな感じのラッキーが始まるんですけど。
ワーホリなんで、働けるじゃないですか。コネも何にもないんで、とりあえず働こうと。日本と韓国の食料品店でキッチンして働きながら、来たからにはまあなんか色々やろう。って事で。
イギリスには、リーガルウォールっていう合法で描ける壁があるっていうことを知ったんですね。トンネルになってて、別名、バンクシートンネルって言われてて、バンクシーがそこで修行してたみたいな。そういうトンネルなんすよ。そこでようやく描けるわけじゃないですか。捕まって以来。なんでそこで1年2年ずっと修行じゃないですけど、作品を描いては消され描いては消され。
リーガルウォールなんで描くじゃないですか。そしたら次のアーティストがまた勝手に消してまたその上から描いて。永遠に。ただ捕まらないっていう。そういう場所で。そこで、自分のスキルとか作品とか磨いて。そういう感じでキャリアを始めて。
23歳初めて絵が売れる
24歳人生初ロンドンにて個展開催。
で、ギャラリーに持ってったらこれはいけるってなって。案の定すぐ売れたんすよ。NYのギャラリーのグループショーにも出展することができて。その勢いで、グラフィックギャラリーで個展やりたい。って言う話して。
ワーホリが終わる年の2014年1月にやろうって、日付決めて、作品を2、30個作ったんですよ。気合いを入れて。人生を賭けた挑戦じゃないですか。なんで。
いざ作品が出来た時に、材料費とか結構かかるんで手持ちが一万円くらいしかなくなっちゃったんですよ。帰りの飛行機のチケットも買ってないんすよ。だから個展で10万円以上稼がないと帰国できない。みたいな状況で。必然的にもう個展が成功するしかないんすよ。
帰国日本でのストリートアートの難しさを知る。
正直すぐ日本に帰りたかったんですよ。何故かっていうと。元々日本の日常を変えたいと思ってやり始めたんで。日本で活躍したかったですし。
だからイギリスで絵が売れたんで、日本でも同じくらい活躍できるだろうと思って帰国したんですけど、全然そんな感じではなくて。
イギリスのつながりで、日本でも個展をしたんですけど、30万ほどしか売れなくて。出費も考えたらマイナスいってんじゃないか。くらいで。でもこのままやっていけば日本でも活躍できると思ってたんですけど。まぁ現実は全然甘くないっていうか。
日本にはそもそもストリートアートっていう文化が確立されていないっていう事を徐々に知って行くんですよね。
一瞬あのままイギリスにいたらと、後悔もしたりしたんですけど。
25歳日本での模索する2年間。
ストリートアーティストとしてやれることは全部挑戦しようと思って日本で活動を続けましたね。
そしたら徐々に色んな人と出会って、色んなことを学んで色んなことに挑戦する機会ももらえましたね。今まで自分一人ではできなかったようなことが。
キャンプイベントで子供達と一緒にライブペイントとか、子供達にステンシルを教えるワークショップとか、福島県南相馬市の小学校の全校生徒と一緒に作品を制作したり、企業とコラボしてアートワークを提供するとか。
中には全然やりたくないことも挑戦したりしました。
ストリートアート×広告
そもそもなんでストリートアートをやろうと思ったかっていうと。
自分の伝えたい事をたくさんの人に自由な表現方法で伝えられると思ったからなんですよ。
だからストリートアートをやることじゃなくて自分のメッセージをたくさんの人に伝えることが自分の本当にやりたいことだって改めて気づきました。
日本って広告規制が多いんですよ。そういうのがまず昔から好きじゃなくて。
でもバンクシーはすごい影響力があるアーティストなんで、
バンクシーが広告を手がけたら世界は変わるって言われてるんですよ。
彼の作品にはそれだけの説得力とメッセージ性と影響力があるんですよ。
バンクシーはもちろん広告とかやらないですけど、もしそういうアーティストが広告とかやったら日本の広告が変わるんじゃないか。と思ったのと、日本人の動きってメディアを通して動いてるんで、100%自分の意思で動いてる人って多分ほぼいないと思います。なんで、そういうマス媒体がもっとクリエイティブに変わっていって、正しいメッセージが伝われば、最終的に日本人の意識が変わっていって、結果日本も変わって、もっと正しい道に進んでいくんじゃないかと思ったんで、自分はアーティストとして広告がやりたいと思ったんですね。
広告って企業だけのものでなくって、自分が言いたいことをバーンって拡散するのが広告じゃないですか。て考えたら企業じゃなくても広告の力を必要としてる人はいっぱいいるんじゃないかなぁと。ちっちゃいお店とか個人の人間でも全然自分の思ってることが伝わんない。っていうものも広告として伝えればそういう必要としてる人がいっぱいいるんじゃないかと思ったんで。
27歳ニューヨーク単身渡米
日本に帰ってきてから、スムーズに何もできなかったから、やり方を考えなくちゃいけない。考えて考えて必要とされてない理由はなんだろうと思ったら、今みたいな概念で、アーティストは広告っていうものができれば、必要とされんじゃないかって思ってそういう考えになったし、自分はそれがやりたかったんだって思えた。
そこから、ライブペイントでは自分一人が描くんではなくて、そこに来てる子供達とかお客さんに描いてもらってみんなにアートを楽しんでもらう。それが思い出にもなるし、イベントが伝えたいコンセプトを作品のテーマにしてるんでその作品が広告にもなる。そういうスタイルになってから店舗の壁画制作とかもすごい増えました。
自分は正直絵を描くのが苦手なんですよ。
だからステンシル使ってるっていうのもあるんすけど。
でもステンシル使えば描けないものはないんですね。簡単な絵でも、細かい建物でも型紙作っちゃえば全部作れるんで。そうなると誰かが本当に言いたい事とか表現したい事を自分のスキルで制限せずに作品にすることができるんで。自分は。
壁画として広告が作れるんでそういう意味ですごい増えたんですよ。やれる事が。
セブ島のレストランとか上海のお店とか壁画描かせてもらったりして、そっから海外の仕事も増えて。
【生き方】無言実行
ロンドンの時の個展のタイトルでもあったんですけど、考えたり言ったりする前にやっちゃう。だいたい無謀な挑戦なんてものは考えたら全部こわいじゃないですか。自分の事も結局追い込んじゃうんで。だったら言わずにやっちゃった方が楽なんで。無言実行くらいのスピード感でやったほうがいいんじゃないかな。って思ってて。いつもそうなんですよ。周りと話さず常に自分と話して決めて動いちゃいますね。
【野望】アートを通して日本の日常に、夢とサプライズを与えたい。
日本そのものを面白く夢とサプライズにあふれた世界に変えることで、そこに生きる人々の人生もより豊かに変わっていくと信じてます。
【贈る言葉】思い切って失敗して欲しい。
あとがき
今後の挑戦
- 教壇に立ちたい。若い人達の前で話を聞いたり自分の人生を喋ったりしたい。
- 絵本を描く
- ラジオをやる。
- アート文化をエンターテイメントに変えていく。
BIOGRAPHY
- 幼少期 人を楽しませるのが好きだったのかよく踊っていた。
- 小学生卒業文集に「有名になりたい。」と書く。
- 中学生目立ちたいが目立てないでいた。
- 高校生注目されたくてダンスに熱中していた。
- 18歳日本を面白くしたくて、アート集団を結成する。
- 19歳Banksyの作品集に出会い、ステンシルを知る。
- 原宿にステンシルの作品を描くが警察に捕まる。
- 20歳デザイン会社に就職するも半年で退職。
- 21歳本気でストリートアーティストになろうと決意。
- 22歳Banksyに近づくためにロンドンへ。
- 24歳ロンドンで初の個展開催。帰国。
- 25歳日本でのストリートアートの難しさを知る。
- 26歳アートと広告を合体させる。
- 27歳ニューヨーク単身渡米
- 2017年 フランスのバンドPHOENIXの日本PR用アートワークを手がける。
- 10月 ブルックリン・マンハッタンでライブペイント。