羽賀 亮洋(Akihiro Haga) - スタントマン

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人との縁を大切にしながら育んできたスタントへの情熱

 
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羽賀 亮洋(Akihiro Haga) - スタントマン

スタントマンと聞くと激しいアクションシーンを思い浮かべるからか、情熱ほとばしる野生的な男性を想像していた私。でも実際にお会いした羽賀さんは、佇まいがとても柔らかく、優しい雰囲気のほんわかした方。普段は無口だという彼が、スタントに出逢ったきっかけからこれからの夢に至るまで、日米スタント業界の内側にも触れながらたっぷり語ってくださいました。これからアメリカでスタントマンとしてやっていきたいという方はもちろん、プロのみぞ知る特殊業界の裏側を知ってみたい方も、羽賀さんの飾らない人柄を通して見える「スタントマンとは何ぞや?」の世界を是非楽しんでください!


対談者:Akimi Okuda

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様々なスタント経験を持ちながらも「僕のスタントマンとしての人生はやっと始まったばかり」という羽賀さん。
たくさんの出会いと学びを糧に歩んできた道程が、彼の気負わない柔らかな雰囲気を醸し出している、そんな風に感じられる素敵な方でした。

 

13~18歳スタントとの出会いから偶然の流れで渡米へ

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― どんなきっかけでスタントに興味を持ったのですか?
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13歳の時にとんねるずのやってる仮面ノリダーのあのノリにハマって、そこに出ていたショッカーになりたいと思ったのが最初のきっかけでした。そこで、興味があるからやってみたいと思って、そのショッカー役をやっていた倉田プロっていうスタントチームに会いに行きたいっておかんに相談したんです。そしたら、おかんに「中学だけはちゃんと出てね」って言われてしまいました。

 

BIOGRAPHY

  • 13歳仮面ノリダーの影響で器械体操を始める
  • 15歳抽選で米国永住権取得。名古屋にて戦隊 仮面ライダーのショーのアルバイトを始める。
  • 18歳渡米しロサンゼルスへ
  • 19歳ニュージーランドにてパワーレンジャーの撮影に参加
  • 21歳役者の夢を捨て切れず東京に戻る。以降、有名ゲームのモーションキャプチャーやドリカムのワイヤーセーフティーなどに携わる。
  • 26歳再びパワーレンジャーに参加。以降、2シーズン参加。
  • 32歳ニュージャージーに移住。現在はNetflixを中心にスタントマンとして活動中。
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― じゃあ一回は断念されたんですね。そこからどうやってスタントの世界に入って行ったのですか?
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スタントチームに入ることを断念した代わりに、まずは器械体操を始めたんです。そのあと、15歳から戦隊仮面ライダーのショーのアルバイトを始めました。その時の先輩がアメリカでスタントをしている人でした。

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― そこでスタントとアメリカが繋がったわけですね。
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そうですね。そして同じく15歳の時、海外好きのおかんが勝手に申請していたアメリカの永住権を三年目にしてようやく抽選で獲得することができたんです。で、永住権を獲得できたんだから、高校卒業したらアメリカへ行きなさいということになりました。自分で行きたいと決めたっていうよりは、行かされたという感じです。

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― じゃあ最初は「アメリカにめっちゃ行きたい」とかそんな感じじゃなかったんですね。
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全然違いましたね。高校時代はずっとショーのアルバイトはしていたんですけど、最初はスタントをしたいからアメリカに行くっていうよりも、語学学校に通って大学へ進学するためにって感じだったんです。渡米場所がロサンゼルスだったので、スタントは、面白いから語学学校に通う傍らで出来ればいいなくらいの軽い気持ちでした。

18~21歳辛い語学学校の日々から飛び出し、パワーレンジャー参加で迎えた全盛期

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― アメリカに来て語学学校に通い出したらどうでしたか?
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語学学校の授業が全く面白くなくて英語も上達しなかったんです。そんな感じだから、だんだん学校からも足が遠のいて結局行かなくなってしまいました。しかも、ロサンゼルスの公共交通機関はすごく不便で、最初は車も持っていなかったから、住んでいた寮からどこへも出られない状態になってしまったんです。

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― その状況って辛くなかったですか?
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辛かったですよー。本当に面白くなかったし、親はお金を出してくれていたのに全然それに応えられてなくて本当に辛かったです。

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― 語学学校はそんな感じでしたけど、スタントの方はどうでしたか?
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語学学校も面白くなくて、寮からも出られないって中でどうしようと思って色々と情報を調べてたんです。そしたら、パワーレンジャーっていうのがあることを知りました。

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― パワーレンジャーってどんなものなんですか?
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日本のヒーローものをアメリカ向けに作り直したもので、アメリカで唯一日本人が作っているTV番組なんです。役者は全員外国人なんですけど、スタントチームは日本から呼んで撮影するし、街が破壊されるシーンとか使えるものは日本のヒーロー番組の映像をそのまま使ってます。日本のスタントの技術は、練習に練習を重ねるから本当に高くて、その技術をもって日本人が海外で作り出していて人気を博しているというところに魅力を感じました。そして面白いことに、僕がスタントに興味を持つきっかけになった仮面ノリダーでショッカー役をやっていた人たちが、実はこのパワーレンジャーにかかわっている人たちだったんです。

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― 不思議なご縁ですね。そこからパワーレンジャーに参加されることになったんですか?
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そうなんですよ、「あーあの時の!」って思いましたね。でも、この時は残念ながらタイミングが合わなくて、すぐに参加することはできなかったんですよ。パワーレンジャーの撮影って、森とか海とか風景が日本によく似ているから毎年ニュージーランドで行われるんですけど、これが大体1回9ヶ月くらいかかるんです。その間はアメリカには戻って来ない。ちょうど僕がパワーレンジャーを知ったのが、このニュージーランドへの撮影にスタッフも役者も全員出発するタイミングだったんです。だから彼らが9ヶ月後に帰ってくるまで参加はできなくて、すぐに入らせてもらうことはできませんでした。

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― 撮影隊が帰ってくるまではどんな生活をして待っていたのですか?
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語学学校にも行かなくなって行動範囲も全然広がらないことに、これじゃダメだと思って、半年経った頃に車を借りたんです。そしたら一気に活動領域が広がって、スタントの練習場にも行けるようになって、いろんなところに遊びに行ったり出かけるようになって、そうしているうちにスタントをやっている人たちにたくさん出会い始めたんです。外に出ることで人間関係が変わりましたね。

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― そうやってスタントの世界とつながっていくなかで、改めてスタントのどんなところが魅力だなと思われましたか?
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スタントの仕事では、例えば30メートルもあるところから飛び降りる撮影なんかをします。もちろん本番までに何度もリハーサルや綿密な打ち合わせをしますが、それでも常に危険が伴います。その生きるか死ぬかの極限状態に生でかかわれて、みんなが真剣に作っている現場の雰囲気に感激しました。でも、この時はまだスタントの大変さや仕事の大切さなどは知りませんでしたね。

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― そして撮影隊が帰ってきた時に、満を持してパワーレンジャーに参加されたんですね。
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はい、19歳の時でした。パワーレンジャーの監督さんに「ショートフィルムを撮影しているから見に来ない?」と誘われたんで行ってみたところ、監督に少し動きを見せてくれと言われました。やってみたところ、「まだまだだけど、やってみるか!」と、そのままパワーレンジャーの撮影に連れて行ってもらえることになったんです。そこから2シーズン、21歳になるまで参加させてもらいました。

そしてなんと、やらせてもらえたのがレッドレンジャーっていう一番いい役のスタントだったんです。こんな役、若い時になんてなかなかやらせてもらえない。

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― すごいですね!そんな大役のスタントに抜擢されたのはどうしてだったんですか?
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僕の背格好や身長がレッドレンジャーの役者にぴったりだったんです。だから本当に運が良かった。この時はだいぶ練習でしごかれましたけど、体力的にもスタントマンとしても全盛期でしたね。

21歳~26歳全盛期から一転、敢えて選んだ東京での挑戦

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― でもその後、パワーレンジャーをやめて東京に戻って来られますよね。全盛期だったのにどうしてやめる決断をされたんですか?
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レッドレンジャーのスタントっていうなかなかできないことを、しかも2シーズンも続けてやっていて、同じようなスタントをルーティーンワークのようにこなせていたことに正直、調子に乗っていたんです。そして逆に、若かったからこそもっと苦労してみたい、若い時に東京で挑戦してみたいって憧れのような気持ちがありました。そんなすごいことができた自分なんだから、「東京でもいける!大丈夫だ!」って思ったんですね。

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― じゃあもう「このまま東京に行ってやろう!」みたいな勢いで決断されたっていう感じなんですね。
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ほんとそうですね。全くツテも何もなかったのに、東京でも「パワーレンジャー」の知名度で注目されるだろうくらいに思っていたんです。パワーレンジャーの人たちには「今辞めなくても、まだ若いんだからもうちょっとやってから辞めてもいいんじゃない」ってかなり説得されました。今振り返ると舐めてもいたんだと思います。

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― 舐めてたっていうことは、実際、東京に来たらそんなに甘くはなかったんですね。
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今までの人生を思い返しても、一番辛くてしんどい時期が東京時代でした。日本には日本の特殊撮影番組があって、パワーレンジャーなんて誰も知らなかったから、当然僕のことも知られていませんでした。

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― みんな知ってるかと思いきや、「パワーレンジャーって何?」みたいな反応だったわけですね。
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そうなんです。だから、パワーレンジャーをしていて日本にいる先輩を頼って、仕事を紹介してもらったりしていました。でも、日本のスタント業界では24時間勤務なんてことも当たり前だから、自由に使える時間はほとんどなかったですし、正直、スタントだけじゃ食べていけなかったから、アルバイトもしてました。

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― そんな生活の中で、一番辛かった経験はありますか?
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当時は、アルバイトしながら、早朝から夜中までは撮影や舞台の稽古をしていました。そんな生活だから疲れて朝起きられなくて、舞台の稽古に何度も遅刻をしてしまったんです。そしてある日、先輩に殴られてしまいました。あんなに人に殴られたのは初めての経験でした。

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― でも、羽賀さんからしたら、疲れているし休みもないし、朝起きられないのは仕方ないじゃん・・・とか思いませんでしたか?
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どんなに疲れていても、1時間しか寝る時間がなかったら、1時間で起きればよかったんです。だから、起きずに寝てたのは僕の責任です。僕を殴ったその先輩は、以前にミュージカルで一緒になったことがあったつながりで、僕にその舞台の仕事の話をくれた方だったんです。なのに、僕が遅刻したことで、僕に目をかけてくれていたその先輩の顔を汚して、周りからの信頼までも失わせてしまったことが本当に申し訳なくて。そんな思いをさせてしまったのに、仕事をしないと食べていけないから、舞台の仕事を辞めるわけにもいきませんでした。

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― 練習が辛いとか、生活リズムがキツいとかご自身のことよりも、その先輩に迷惑をかけてしまったっていう「人」との関係での経験が一番辛い思い出として残っているんですね。
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自分自身のことは、例えば背骨にヒビが入ったこともありましたけど、結構自分で乗り越えられてきてるからだと思います。でも、その先輩のことは失敗したなと思いました。今なら会ってもらえるかな、許してもらえるかななんて思ったりします。色々辛かったですけど、この東京での経験があったから、仕事を大切にする姿勢も生まれたんだと思います。

26歳やっぱりスタントが好きだと気づき、一生スタントでやっていくと決意

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― 結構ハードな生活をされていた中で、そんな大変な思いをしてスタントを続けていくことに迷いは生まれなかったんですか?
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実はこの東京時代はすごく迷っていたんですよ、スタントを続けていこうかどうしようかって。だって、毎日スタントの仕事が入ってる人じゃなければ、他のアルバイトをしてた方がよっぽど食べていけるんです。だから、僕もアルバイトをして、やりたいスタントの仕事だけしていればいいやってなってしまっていたんです。そんな気持ちだから、お金も全然貯まらない。それに、身体能力も衰えていく。ある時なんてスタントの現場で「あれ?こんなんだったっけ?」って言われたこともありましたね。そんなんだから、毎日ダラダラ過ごしていました。結局、スタントの仕事から逃げてたんだと思います。

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― でも、その逃げや迷いが何かのタイミングで吹っ切れたから、今もスタントを続けていらっしゃるんですよね。そこにはどんなきっかけがあったのですか?
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そんなダラダラした生活の中でも、自分なりには迷いながらも撮影とかショーとか、あとはスタントにかかわらずいろんなことをして頑張ってはいたんです。ミュージカルに出たのもこの時でしたし、あとは戦隊の聖地って言われている後楽園でのショーに出たり、龍が如くっていうゲームのキャラクターの動きを作る時のモデルをやったり、あとドリカムのツアーにも参加しました。そんな中で、読売ランドっていうところで一年を通してショーを一から構成していく機会に恵まれたんです。そこでは演出を自分たちの好きなように作っていけました。ショーって撮影とは違って、生でお客さんの反応が見えるじゃないですか。このショーにかかわった経験から、やっぱり僕はこうやってお客さんの楽しんでいる反応を見るのが好きなんだなあって思ったんです。だったら、もっといいものを見せていきたいと思って、そこから自分のスタントの技術を磨くようになりましたし、ワイヤーや照明のことなんかも真剣に学ぶようになったんですね。

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― 自分の好きなものが何なのかを改めて実感されたわけですね。
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はい、それに「自分はまだやれる」って思ったのも大きかったです。そうしているうちに、ふと、そろそろまたパワーレンジャーの撮影が始まる時期だなと思って、19歳の時に僕の動きを最初に見てくれた人に連絡してみたんですね。そしたら「いいよ」って言ってもらえて、受け入れてもらえたんです。それが26歳の時でした。この時に「これは絶対恩返ししなきゃ」って思って、僕はスタントでやっていくんだと決心しました。そこから今度は3シーズンかかわらせてもらって、終わってからニューヨークに移り住んだのが31歳の時でした。

31歳ニューヨークへ移住ーLA、NYそして日本でのスタントの違い

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― どうして日本でもロサンゼルスでもなく、ニューヨークに移ったのですか?
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まず、日本じゃなくてアメリカを選んだのは、自分の中で納得のいくスタントの仕事をしたという実感がなくて、アメリカでまだやれるって思ったからですね。この時にどこにも行かずにアメリカでやっていくって自分の意思で決めました。それから、僕にとってはニューヨークに行く方が、スタントの仕事のチャンスがあると思ったんです。アジア人スタントマンの数はニューヨークの方が少ないんで、その分ロサンゼルスよりも競争率が下がります。競争率の高いロサンゼルスだと、特に新人の場合は仕事を取れるようになるまで相当時間がかかってしまうんです。撮影場所もニューヨークの方がたくさんあります。例えば、ニューヨークで街中を歩いていると、映画やテレビの撮影を1日に3つくらい見かけます。撮影の機会が多いから、その分スタントのチャンスも多いんです。あと、友人からも「ニューヨークはいいよ」って勧められていました。実際こっちに来てみると、チャンスを多くつかめたお陰で、ロサンゼルスで一年かけて稼いだ金額をたった3ヶ月で超えることができました。それに、一回大きな撮影にかかわると、そこでまた人とのつながりが増えて世界が広がるんです。今、僕はそれをすごく実感していますね。

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― 他にはどんなところで違いを感じましたか?
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ロサンゼルスは交通の便が良くなくて、車移動で完璧ドアtoドアだったので、人に会わない時は全然会わなかったです。でも、ニューヨークでは電車で普通に飲みに行けたりもしますよね。だから人とすぐに出会えるし話が早い。それに、やっぱりニューヨークは世界の中心だから、いろんな人がいて、たくさんの人が僕のやってることをいいねって言って力を貸してくれるんです。だから、ここだったらやれるかなって思います。でも、生活費はニューヨークに来て2倍になったんで、やばい、仕事しなきゃ!って焦りましたね。

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― じゃあもっと大きく括ってアメリカと日本とで比べた時には、どんな違いがありましたか?
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日本ではスタントのチームっていうのがあって、履歴書を送ったら練習に参加させてもらえるんです。仕事もチームが取って来たものを回してもらえます。でも、アメリカではそういうチームもなければエージェントもいない。だから、自分が動いて売り込みをかけるしかないんです。日本ではチームが仕事を分けてくれるので良くも悪くも守られていますけど、アメリカでは自分のことは自分でやるしかない。甘えは通用しないんです。何もやらない人は何もやらないままです。僕も仕事を取るのが大変な時は、お寿司屋さんなんかでもアルバイトをしていました。でも、僕はスタントしか知らないから、絶対チャンスは来ると思って諦めませんでした。

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― なかなかチャンスに恵まれないと、アルバイトばかりしていて「何をやっているんだろう・・・」なんて思うことはありませんでしたか?
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ありましたよー。だから精神的に強くないとやっていけないです。でも、こっちではスタントの協会っていうのはあって、給料もちゃんと守られています。だから、ニューヨークのようにスタントのチャンスが多いところでは、仕事を取って来れさえすれば、日本よりも収入を得られるし、もちろん自分の時間もちゃんと確保できるようになるんです。

アメリカのスタント業界日本での経験がいかされる場所

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― アメリカでは実際にどんな感じで売り込みをされるんですか?
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スタントが必要な撮影現場には、スタントコーディネーターと呼ばれる人がいるんです。その人がスタントに誰を使うのかを決めるんですけど、この人に撮影日に直接会いにいくんです。アポイントなんて取れないですし、忙しい仕事の合間に突然行くわけですから、会ってもらえるかどうかもわからないんですけど、出待ちするしかないんですね。そこに履歴書を持って行って、自分がどんな人間で何ができるのかを説明するんです。何千何万という人の中からスタントコーディネーターに覚えてもらわないことには、仕事をもらうことなんてできませんから結構厳しいです。しかも僕の場合は、パワーレンジャーの撮影でニュージーランドに定期的に長期滞在していたので、その間はアメリカで築いた関係が一旦途切れてしまうんです。だから、パワーレンジャーの撮影が終わるたびにまた一から売り込んでいかないといけなくて大変でした。

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― 結構ハードル高いと思うんですけど、どうやってそこを突破されていくんですか?
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そこで大事になるのが友人なんです。こっちでは人のつながりで仕事の情報が入って来ることも多いんです。例えば、友人が「今度こんな撮影するよ」とか「こんな人探してるみたいだよ」とかいう情報をくれたり、以前やった仕事内容を収めたデモテープやトレーニング映像なんかをスタントコーディネーターに見せてくれたりするんです。あと、英語での交渉に不安のある僕にとっては、売り込みの時に一緒に付き添ってくれる友人も本当に大事です。それに、今の有名な撮影のスタントコーディネーターをしている人たちって、もともとパワーレンジャーにかかわっていた人たちが多かったりするんです。だから、人とのつながりって本当に大切です。

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― いろんな人がいろんな所でつながっている業界なんですね。
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スタントってフリーの仕事だしセルフプロデュースが必要なんですよね。どこでどう仕事につながるかもわからないし、どういう風にやったら仕事がもらえるっていう正解もないんです。今日は仕事があるけど明日はどうなるかわからないっていう状況でも、僕が今までやめようと思わなかったのは、同じように頑張っている人たちがいたからでもあるんです。周りからも言われたことがあるんですけど、僕は本当に人の運に恵まれているなと思います。

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― ハードなアメリカのスタント業界で生きて行くうえで、これまでの経験で役に立っていることはありますか?
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東京時代の経験は、辛かったですけど役に立っていますね。日本では教育として仕事であっても怒られますよね。でも、アメリカでは怒られる前にクビになるんです。できなければ他の人がいるから必要ないっていうことです。だから失敗ができない。そんな時に日本で身につけた高いスタント技術が役に立ちます。

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― どうして日本だと高い技術力が身に付くんですか?
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アメリカに比べて日本では、設備の整ったスタント用練習場が少ないんです。だから、コンクリートの上で練習したりするんですけど、そうすると自分の身を守る安全な方法を身に付けることが重要になってきます。そのために、仕事場で何十回、何百回と練習を繰り返して、怪我をすることなく、でも映像の中では痛そうに見せることのできる技術なんかを身に付けていくんです。この経験数の多さが高い技術力に結びつきます。技術が高いおかげで怪我もしないし、大きなスタントも任せてもらえるくらいに信頼度が増すんです。だから、今まで学んできた日本のスタントの技術は、間違いなく今に生きていますね。あとは、遅刻をして先輩に迷惑をかけた経験から、現場に遅れるのが怖いんで、今は1時間前には必ず着くようにしています。

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― アメリカには10年以上いらっしゃるから、英語でのコミュニケーションは問題ないですよね?
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いえいえ、いまだに全然喋れないですよ笑。実は中学校の時は、英語は得意で3年間ずっと満点を取っていたんです。それに、母親が永住権を申請するくらい海外が好きで、よく一緒に海外旅行に連れて行ってもらっていました。でも、高校に入ると文法とか途端に難しくなるじゃないですか。それで面白くなくなってしまって、勉強しなくなりました。それにアルバイトもしていたから、授業中は疲れてずっと寝ていましたしね。そんなんだから、卒業できるかどうかも本当にヤバい状況だったんです。アメリカは結局、白人社会なので、その中でちゃんと交渉できるようにならないと、まずは仲良くもなれないし、自分という人間をわかってもらうこともできません。ヒアリングもままならないと仕事すらできない。これだけ苦労するって知っていたら、ちゃんと勉強しておけばよかったです。

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― じゃあ、英語には今でもコンプレックスがあるんですね。
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ありますよー!言いたいことも十分に伝えられないし、相手の言っていることが聞き取れないから受け答えもままならない。でも、受け答えができないからこそ、現場では状況をしっかりみて、誰よりも早く動くように心がけています。

これからの夢日本のスタント技術を使って全米初の劇場を作る

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― これからもスタントを続けていかれると思いますが、この先、叶えたい夢や目標、野望などはありますか?
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やっとスタントで食べて行けるようになったので、僕のスタントマンとしての人生はまだ始まったばかりです。今やっていることがルーティーンになれば、またやりたいことにもつながっていくと思うんです。今ようやく真剣にスタントをやることも決めたし、以前から温めていた「日本のヒーローやアニメキャラクターに会える全米初の劇場を作る」っていう夢を実現させる準備も整いつつあります。日本のスタントの技術は本当に高いし、日本の文化はアメリカで受け入れられると思います。だから、日本で人気のキャラクターショーはアメリカでもやれると思ってます。それに、アメリカには子ども向けの場所が少ない。だから、子どもと一緒に来て一日中遊べる劇場を作りたいんです。すでにナルトのショーもアメリカで使っていいと版権元から許可を得ています。あとは誰かが経済的に支援をしてくれたらすぐにでもできるので、チャンス待ちです笑

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― その劇場を核にして、アメリカのスタントではなくて、日本のスタントの技術を使って、日本人が中心となって日本の文化を発信していきたいということですね。 
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はい、日本のスタントマンをもっとアメリカに呼びたい、そのためのラインを作りたいという目的もあるからなんです。日本のスタントマンはとにかく忙しすぎるし、サービス残業も当たり前。だから海外に行きたいと思っても、日々の仕事に忙殺されたり英語ができないっていう不安から、実際に来る人はほとんどいないのが実情です。でも、僕はもっと日本の文化を伝えていきたいから、日本から人を呼べばもっとできるんじゃないかって思ってます。あとは、今の仕事では、作品の詳しいことを言えない立場にあるし、役者さんの一言でクビになったりするような立場でもあるんですけど・・・

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― 役者さんの一言でクビになっちゃうんですか!?
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そうなんです、役者さんと取り組みをした時に「この人のパンチ痛い!」とか言われちゃうと、それだけでもうクビになってしまいます。だからすごく気を遣いますね。そうやって他人に気を遣うことなく、ミスを気にするよりも思いっきりやって、気持ちよく仕事ができるような立場になりたいですね。それから、いろんな人に見てもらえる映画にも出てみたいです。

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― そんな数々の夢を叶えるために、そして一人のスタントマンとして、これからどんなふうに生きていきたいですか?
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僕はもともとゼロから何かを作るのが好きなんです。だから、ずっとクリエイターでありたいですね。ショーにしても撮影にしても、こういうシチュエーションでこんなことをしたら面白いだろうなあなんて妄想することが多くて、その妄想を形にすることが好きなんですね。そうやってゼロから生み出すことに喜びを感じるのは、そこにお客さんや仲間など見てくれる人がいるから。相手がいるからこそ頑張れるんです。あとは、僕ビールが大好きなんですけど、その日の終わりに飲むビールが美味しいと言えるように、1日1日を大切に過ごしていきたいですね。その日一緒に仕事をした人たちと一生懸命やる。そうしたらまた期待してくれるんじゃないかなって思うんです。だから、その日会った人たちを大事にしていきたいですね。

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― 歳の時から人生の半分以上をスタントにかかわって生きてこられたわけですけど、そんな羽賀さんにとってスタントとは?
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生きる手段です。これがなかった生きられないですね。僕にとってはこれしかないから、今は必死です。今はまだまだだから、それ以上のことなんて言えないです。だから僕からすると、逆に大学に行って就職している人はすごいなって思います。僕にはできなかったことですから。

海外挑戦者へのメッセージ強い心で思い続ければ叶う

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― 今まで歩んでこられた道のりを振り返ってみて、これから海外に出ようか迷っている方がいたら、どんな言葉をかけてあげたいと思いますか?
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僕の人生を振り返ると、中途半端でフラフラしていたなあって思います。信じて進んできた道はゆるかったし、振り返っても崖っぷちや究極の選択って言えるような経験はありません。でも、それこそが自分で選んだ道だったんです。自分が経験してみないとわからないから、いろんな寄り道をして道を外れていたから時間がかかったんです。そうやって少し時間はかかったけど、僕にとってはこの道しかなかったから、これが答えだったんだなって思います。だから、時間はかかるかもしれないけど、やりたいと思えることがあるのならできることは沢山あります。やってみてダメだったらそれから考えればいい。まずは人に言われる前に自分で調べるのが一番、動くのが一番です。日本にいながらもできることはあるはずです。後押しがあるのなら、絶対来た方がいい。絶対行けると思える人が、生き残っていけます。海外に行くって簡単なことじゃないと思うから、ある程度準備はしっかりした方がいいですね。強い心で思っていたら、たとえ失敗しても道をそれても叶います。せっかく日本人に生まれて来たんだから、みんなで力を合わせて一緒に楽しいことをしましょう。まだまだいけます日本!

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羽賀 亮洋(Akihiro Haga) - スタントマン

海外飛び出し年齢:18歳(

ニューヨーク(在住経験地:, , ,

 
 

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