Tsukasa Kondo(近藤司) - 役者/脚本家

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「何を作りたいか」っていうのだけをルールにやっていきたい

 
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Tsukasa Kondo(近藤司) - 役者/脚本家

2008年渡米。以後東京とNYCを中心に役者/脚本家としての活動を続ける。出演した作品は数々の国際映画賞で上映され、映画賞も受賞。現在、自身が脚本/主演、をつとめるウェブドラマ “2nd アベニュー”を公開中。 「3年目までにブロードウェイ」という目標をもって渡米した司さんだが、ニューヨークに来てすぐにグリーンカードがないとだめだと知り、夢破れる。でもそのおかげで今脚本家として好きな仕事ができてる、と語る。 失敗して初めて開ける道もある、そんなことを感じさせてくれる司さんの生き方をLIVE!


対談者:Dragon

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ジャズベーシストのゆうたくんの紹介でTAMARIBA NYにご参加いただく。クールな外見からは想像がつかないような、破天荒な作品づくりに衝撃。新しいことにどんどん挑戦されているその生き方に共感し、溜まり場に出演をお願いした。

 

24歳このまま続けても先がない

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― どうして渡米しようと思ったん?
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元々京都の大学で経済を学んでいたんですが、入学した時は普通に就職することを考えていました。

でも演劇をまだやり続けたい気持ちもあったので、三回生が終わった時に一年間休学して、東京に行って事務所に所属して役者を目指しました。結果、卒業後も会社員にはならずにやっぱり演劇をやっていこうと思ったんですが、東京のシステムでやっていても上がないというか、このまま続けても先がないような気がしたんです。

それに、自分の中に演技に対しての明確な哲学がそのときはまだありませんでした。自分に何ができるのか、本当におもしろいものというのは何なのかがその時はまだわからなかった。だから、もっと広い世界で演技をやってみようと思いました。

それで、一度大学に戻って、卒業してからニューヨークに来ました。

 

25歳ニューヨークには同じように面白い事をやろうとしている人がたくさんいる

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― 演技をやると行っても色んな場所があると思いますが、何でニューヨークを選んだんですか
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ニューヨークに良い演劇学校があることを知って、そこに通おうと思ったんです。映画よりも舞台で有名な街だったし、その時は舞台にものすごく熱意があったので。

 

ただ、その学校のまずは入学要件を満たす必要があったので、渡米後半年間は別の学校で勉強しつつ、パートタイムでその演劇学校の授業を受けていました。その後、無事入学して二年間通いました。

 

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― 実際にニューヨークに来てみてどうでした?

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こっちに来て様々な作品に携わる中で、演劇の中でも自分がやりたいこと、逆に興味のない演劇の分野、そして自分にしかできないことが何か、がはっきりしました。

振り返るとニューヨークである必要はなかったのかもしれないけれど、ここに来なければ気付かなかった事、得られなかった事がたくさんあります。

二十代前半のころは、日本で人生をどう生きるかとか自分探し的な部分にめっちゃ時間とってたんですよね。このままで終わってたまるか、何か大きい事がやりたい、って。

ただこちらに来て様々な経験を経て落ち着き始めて、ようやく何をすべきかが見えてきました。あと、ニューヨークには同じように面白い事を新しい人とやろうとしている人が周りにたくさんいるのがいいですね。NYに住んでいる人って、NYにいる他の人の才能を信じてるんですよ。

ニューヨーカー同士の化学反応に街全体が興奮しているのを感じます。

 

27歳小さいときから芝居の遊びのような事をしていた

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― そもそも最初に演技をやり始めたきっかけって何だったんですか?
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すごく小さいときから日本のラボという国際交流団体で、英語で芝居の遊びのような事をしてたんです。なので、英語で物語を伝える、別の登場人物になる、という活動は幼いときからずっとやってましたね。

 

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― 今は役者の仕事より脚本がメインになってるんですよね?
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脚本自体も、小学校の時から学芸会とかで書いたりしてたんです。大学に入ってからも友達と一緒に芝居作品を作って上演してりしてましたし。

だからこっちに来てからも、知り合った他の演出家やプロデューサーの方たちに、自分の脚本を勝手に送りつけたりしていたんです。たぶん見られてなかったと思いますが(笑)

小川絵梨子さんという、今は東京で活躍されている演出家の方にとてもよくして頂いてたんです。実はその方にも何度か自分の脚本を見てもらったことがあって、それで彼女の関わる作品の脚本を一度書いてみないか、と言ってもらえたのがきっかけでした。

それが2010〜2011年くらいだったんですが、そのくらいの時期からほかの脚本の仕事も少しずつもらいはじめることができました。

 

28歳脚本は予想外の出来事がたくさん起こるから感動できる

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― WEBドラマの「2nd ave」では脚本と出演をされてますけど、日本の会社から配給とか出てたんですか?
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スポンサーはいましたが、撮影費の大部分はKickstarterで集めました。

 

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photo by Ayumi Sakamoto

 

 

photo by Ayumi Sakamoto

photo by Ayumi Sakamoto

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― 映像ってお金がかかりますもんねぇ。

 

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そうですね。元々舞台の脚本をメインにやってたんですが、やっぱり映画となるとまた全然違いますね。

舞台は脚本の内容がどう予算につながるかの想像がつくんですけど、映画の場合は場面が屋外と屋内に別れるだけで撮影日が増えたり、登場人物が増えたらマイクも増やさなくちゃいけなくてコストが上がったり、照明器具のせいでお金がかかったり。

色々と映画の脚本をやらせてもらって勉強になりました。

 

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― 小説も書かれたりするんですよね?
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そうですね。以前に一度友人と自費出版で同人誌を作ったんですけど、それを折角なのでAmazonの電子書籍で出したんです。本当は無料で出したかったんですけどアマゾンの規定で無理だったので販売したら、30部くらいしか売れませんでした(笑)

 

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― そんな規定あるんですね。そもそも脚本ってストーリーとかテーマとかどうやって思いつくんです?
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舞台や映画の仕事をする場合はテーマから納期まで細かく決められていますね。

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― 日本のドラマって原作がない場合とか、放送しながら次のエピソードを書いたりしてるじゃないですか。あれでいいドラマって作れるんですか?日本のドラマって原作がない場合とか、放送しながら次のエピソードを書いたりしてるじゃないですか。あれでいいドラマって作れるんですか?
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ありますね(笑) 難しいですよね。でも僕は制限や拘束ってインスピレーションになるとも思ってるんです。限られた状況の中でどれだけの事が出来るか、ってクリエイティブになれる気がしますね。

 

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― でも小説となると制限も何もないので大変ですね。テーマも納期も自分次第じゃないですか。それでも小説もまだ書いてみようと思ってるんですか?
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p>小説書くのは好きなのでまたチャレンジしたいと思ってますね。

 

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― つかささんの思う、脚本の仕事の魅力ってなんですか?
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シムシティってゲームあるじゃないですか?あれ、おもしろいですけど、あれって自分の頭の中にあるものを再現するのが目的で、それ自体には感動がないですよね。

脚本は、再現を演出家や役者、他者の手に委ねることによって予想外の展開が起こるんです。自分が骨組みを作って、人に肉付けをしてもらう。「こんな風に解釈されるのか」「こんな形に仕上げてくれるんだ」そんな予想外の出来事がたくさん起こって、そして一緒に感動する。

 

それがおもしろいですね。

 

29歳ギャンブル性の高い作品もどんどんやっていきたい

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― ニューヨークに来てからこれはきつかったなーって経験はありますか?
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色々ありましたけど、例えば最近、僕のいる業界はどんどん厳しくなっていて、グリーンカードがないとそもそもオーディションもしてもらえないって状況になってきたんです。やはりビザの面で苦労したところは多いですね。

 

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― 特に役者は、アーティストビザをとるのはすごく難しいですもんね、よく取れましたね!
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これに関してはすごく運がよかったと思います。ニューヨークに来て一年目に、幸運にもたくさんのベテラン日本人役者さんの方たちに会えて、その時に色々アドバイスをもらって、早い段階から計画的に準備をすることが出来ました。

 

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― やっぱりこういう業界だとギャラの交渉とかも自分でやられてるんですよね  
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そうです。この仕事って収入は不安定ですし、タダで執筆してもらおうとする人もいます。だから、ギャラもそうですが、どのような仕事を受けるかというのも慎重に選ぶようにしています。全部の仕事を引き受けていたら時間もなくなりますしね。

 

もう少し稼ごうと思うば稼げるかもしれませんが、ある程度の生活ができるくらいを保ちながら適度に仕事をしたいですね。

 

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― 現在の活動に対しての、自分の姿勢とか意識しているってことはありますか?
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とりあえず、オーソドックスなことやってもしかたないな、とは思っています。自分は、日本でのキャリアがほぼないので、色んなしがらみがありません。失うものがない、だからこそギャンブル性の高い作品をどんどんやっていかないと意味がないとは考えてますね.

 

野望次の時代への前例となる、新しいカタチのものを作りたい

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今って、映像周りのテクノロジーやビジネルモデルがどんどん変わってますよね。動画を作るソフトや機材がどんどん安価に簡単になっていってる。その中で、自分みたいに尖った物がやりやすい環境が整ってきてます。

 

コンテンツモデルの変わった新しい世代にちゃんと属しながら、次の時代への前例となる、新しいカタチのものを作りたいです。

 

生き方何を作りたいか、っていうのだけをルールにやっていきたい

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昔は、インスピレーションがないとだめだ、みたいなのを言い訳にして飲んだくれたりパーティーに行ったり、そういうことに時間を使っていましたが、今はむしろ、毎日九時五時でどこかに行って、書いて、みたいな、制作時間を守ってルーティンをずっと続ける事が大事なことだと思ってます。

 

そういう環境の中で、たくさん作り、たくさん失敗して、自分の中にある作品をどんどん外へ出して行って、もっとストイックになっていきたいと思います。

 

実際退屈だろうし、飽きちゃうだろうけど、それでも自分の才能を信じたい。だから、これをあえて続ける事で自分を追いつめたいんです。

 

アーティストって、自分の中にある理想像に影響されがちなんですよね。こんな人になりたい、なるべきだ、みたいな。「なんとなく天才っぽい、奇想天外」とかそういうイメージですね。

 

そういう、他者から押し付けられる、あるいは自分で思い描いてしまう価値観から、自由になりたいです。何を作りたいか、っていうのだけをルールにやっていきたいと思うんです。

 

それに、もう年齢も三十になったし、残りの時間考えた時に作れる作品数が限られてくるんですよ。死ぬまでに映像あと三十本作れるのか?って。

 

だからそういうストイックな状況の中で、制作時間をたくさんとって、たくさん作りたいですね。

 

贈る言葉海外に出る前の自分の価値観を信じるな

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「失敗するために海外に出る」くらいの心持ちでやることが大事だと思います。失敗って日本ではめちゃくちゃ大きなことじゃないですか。だから一度やめたり、諦めたらともう二度と出来ない。だから海外に出たら「成功しないと負け」みたいに思ってる人が多いですよね。

 

でも僕のように、役者でやろうと思ったけどこっちに来た結果、脚本の仕事をやっている、なんて人間もいるわけです。僕は始めからこうなることなんて想像してなかったし、でも結果これは良かったと僕は思っています。

 

だから、海外に出る前の自分の価値観を信じるな、自分を壊して、失敗を許す。せっかく家族も知り合いもいない海外なんだから世間体とかも気にしない。失敗していいから、出る。それ位に考えていいと思います。

 

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― 日本はやめることに大してのマイナスイメージが凄いですもんね。
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自分は「3年目までにブロードウェイ」っていって出てきたんですよ(笑) でもニューヨークに来てすぐに、ブロードウェイはグリーンカードないとだめだよって言われて一瞬で終わりました(笑) で、結果今は脚本をやってる。この道は、失敗しないと気づけなかったものです。

 

体験そのものに、意味があると、僕は思います。

 

 

BIOGRAPHY

  • 00歳神戸に生まれる
  • 12歳オハイオ州に1ヶ月ホームステイ
  • 18歳高校卒業
  • 19歳関西学院大学入学
  • 21歳京都大学に編入学
  • 22歳大学を休学し東京で1年役者活動
  • 24歳大学卒業&ニューヨークに渡る
  • 25歳演劇学校HBスタジオに通う
  • 27歳演劇学校卒業

Tsukasa Kondo(近藤司) - 役者/脚本家

海外飛び出し年齢:24歳(,

海外出るとき捨てたもの:就活

ニューヨーク(在住経験地:, , ,

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