尾崎雅也(Masaya Ozaki) - 映像音楽作曲家
アカデミーとれるような映画音楽を作る
ボストンにあるバークリー音楽大学時代は、映画音楽科のなかで最優秀学生に贈られるジョージ・デルーア賞を受賞、 卒業後はニューヨークに拠点を移し、ブルックリンにあるアントフードアンドサウンドデザインで専属コンポーザーとして、Google、NIKE、スウェーデン最大のテレビネットワークSVTの音楽を担当、全世界で放映されたエミレーツ航空のコマーシャル制作に携わった。 現在はフリーランスとして様々な仕事に関わりながらカリフォルニアにあるコマーシャル制作会社クレヨンミュージックスタジオに所属している。 「瞬間、瞬間にどれだけユニークな音を創り出せるかが勝負ですね。」と語る彼は、将来はアカデミーをとれるような映画音楽を作りたいそうだ。 野望に向けて突っ走る、彼の熱い生き方をLIVE!
対談者:Dragon
ローカルの新聞を読んでいたら雅也くんの記事があったので、早速本人をFacebookから探してアプローチ。やっぱりカッケー生き方してたので、すかさず溜まり場に勧誘!
15歳ニルヴァーナの音楽を聴きアメリカに興味をもつ
いとこからもらった
ミックステープに入っていた
ニルヴァーナの音
アメリカに行きたいと思いました。
中学からアメリカ音楽は好きで
憧れみたいのがあったんです。
それで高校の旅行でいってみたら
もうこっちの大学行こう!
って決意しましたw
たぶん日本じゃ映像音楽科っていうのは
ないんじゃないかなー
でも細かくいうと、
始めはカリフォルニアで勉強しようと
思っていたんです。
でもバークリーも
おもしろそうだなと思っていて、
試しに一ヶ月以上住んでみたら、
ほんとにバークリーが好きになっちゃって
こっちで勉強しようって思っちゃいました。W
場所も好きでしたし。
でもバークリー大学って実は入学するには
オーディションが必要って友達から聞いて。
でもその時はもう入学のアプリケーションの
提出期限も過ぎていたんで、
まずはオーディションの準備を兼ねて
コミュニティーカレッジに通って
そのあと入学しました。
理論の質問に答えたり、
初見で譜面を弾いたり
用意したギターの曲をひいたりしました。
アメリカいくって決意したときから
勉強はしてました、
なので最低限しゃべれたと思います。
16歳映画音楽に興味をもつ
ニールヤングが音楽を担当した
ジム・ジャームッシュのデッドマンを見て
映画音楽に興味を持ちました。
やっぱり憧れたときもありましたよw
高校までバンドみたいなことはやってましたし、
でも大学で変わりましたね。
やっぱり映像だけじゃ
伝えきれないものがあって
映像と音楽が合わさって初めて
躍動感を伝えられることって
あると思ってて。
たとえば悲しいシーンとか、
音楽があることでその感情が
もっとわ
音楽によって作品の印象が
まったく変わってしまったりするじゃな
だからやっぱり音楽って
すごい大事だと思います。
25歳ニューヨークに移りブルックリンにあるコマーシャル/映画音楽提会社に専属作曲家として入社
まず社内でも選ばれないといけないんです
いい作曲家が社内にもいっぱいいるんで。
もちろんナイキとかGoogleとか
大きな会社になると
いろんな会社とのコンペになります。
なので、まず社内で選ばれて
それで社外で選ばれてやっとですね。
1週間もあればいいほうですね。
短いときはGoogleの
3時間ってのもありました。
もう迷ったら終わりって
自分に言い聞かせながら
スタジオで創りこみましたよ。w
そうなんです。
自分が気に入ったやつは選ばれなくて
ちょっと自信なかったやつが
採用されたりするってこともありますねw
その辺は考えないようにしてます。
最後は運かな、くらい。
なので創ったら次、創ったら次、
みたいな感じです。
やっぱり評価され続けるのは難しいですよ。
だからこそ早くそのレベルに達したいですね。
26歳アントフードアンドサウンドデザインを離れクレヨンミュージックスタジオに入社
けっこうダメだなーって思って
そこにいる人がだめだとかじゃなくて
俺はもっと違う事がしたいなって
前の会社はすごいいま
人気で大きな会社なんです。
コマーシャルがメインの会社で、
でもずっと朝10時からずっと
コマーシャル書いてもどうなん?
って思っちゃって。
実際、映画の音楽を書きたいし
美術展や写真家と
アートプロジェクトかもっとしたいし
んーでも やりたいことがはっきりしてるんで。
もちろん前の会社と比べて
お金の面でもだいぶきつくなりましたけど。w
やっぱりニューヨークって所は、
集まるところじゃないですか。
才能のある人がたくさんいて
競争の激しいところで
今自分の音みたいなものを
確立することを頑張っています。
とってもきついけどやりがいがありますね。
野望『アカデミーをとれるような映画音楽を作りたい』
僕がデッドマンみて感じたように、
同じような感動を人に与えられたらいいですね
アカデミーをとれるような映画音楽を作りたい
生き方『夢を持って先先をみつづける人になりたい』
どんなに有名になっても
自分が求める物を追い続けて
自信もってぶれずに
信念もって努力し続けてる人ですね。
これからも夢を持って先を
みつづける人になりたい。
贈る言葉『世界に出て何かにぶちあたったほうが得るものは多い』
迷ってるんだったら、
とりあえず出るべきだと思う。
行かないで後悔するより、
世界に出て何かにぶちあたったほうが得るものは多い。
今後の挑戦
- 2013年 ニューヨークのいろんな?アティスととコラボレーションしていきたい
BIOGRAPHY
- 00歳新潟で生まれる。
- 14歳音楽に目覚め作曲/ギターを始める
- 15歳ニルヴァーナの音楽を聴きアメリカに興味
- 16歳デッドマンを見て映画音楽に興味を持つ
- 16歳バンドを始める
- 17歳学校の旅行で初めてアメリカ/シアトルに行き感動する
- 19歳ボストンに渡米 バークリー音楽院を目指す
- 20歳オーディション通過しバークリー音楽院入学
- 21歳映画音楽学部を専攻する
- 22歳学業の傍らソロプロジェクト/バンド
- 22歳いくつかのショートフィルムに音楽提供
- 23歳映画音楽学科ないで一番優秀な生徒に送られるGeorge Delerue Scholarship Awardを受賞
- 24歳バークリー音楽院を卒業
- 24歳震災復興支援コンピレーションアルバムThe Sun Will Riseに楽曲を提供
- 25歳ニューヨークに移る
- 25歳ブルックリンにあるコマーシャル/映画音楽提会社 アントフードアンドサウンドデザインに専属作曲家として入社
- 25歳Google, Nike, SVTやニュース番組のエンディング曲に楽曲提供
- 25歳全世界で放映されたエミレーツ航空のコマーシャルの音楽制作
- 26歳アントフードアンドサウンドデザインを離れクレヨンミュージックスタジオに入社
- 26歳はままつ映画祭、上映作品の映画音楽担当