落合佑亮(Yusuke Ochiai) - ファインアーティスト
100%わがままなものを出したい
ニューヨーク本場で、ペインターとして活躍するゆーすけさん。 元々、スノボーのセミプロであり、3Dグラフィックデザインを手掛ける会社の経営者として日本で10年活躍していた。 そんなゆーすけさんだが、2009年31歳にして、ニューヨークへの挑戦。 日本で得た仕事の実績、安定した収入を捨てて、ゼロからペインターになるため渡米した。 経済的安定、社会的名誉を捨ててまでチャレンジに踏み切ったゆーすけさんの真意はなんだったのか。 その生き様をLIVE!
対談者:Dragon
共通の知人を介してのコリアンタウンでランチ。日本での成功を捨て、0からのチャレンジに踏み切った見た目も中身もワイルドなゆーすけさんに感化され、すぐさま溜まり場に勧誘。
19歳パース建築の専門学校に通うも、一年で挫折。
親父がパース建築の仕事やってるんだよね。
パース建築っていうのは
設計図を 3Dに起こす仕事なんだけど。
だからその影響もあってか
俺もこの仕事がやりたい、
やっていくんだろうなって思ってて。
それで専門学校に通うようになったんだけど
全然集中できなかった。
俺のイメージでは
手書きで描いてるはずだったんだけど、
学校で教えてくれるのは
ずっとコンピュータで。
だから1年ちょっとでやめちゃって
スノボーにはまっていったよ。
20歳スノートリップ in スイス
そう。
スノボのセミプロだった。
もちろん本気でプロを
目指してたときがあったんだけど
あるときプロの友達と話をして
自分との差を感じさせられてね。
そのときから自分は変わったなぁ。
24歳仕事に目覚め飛び込み営業開始。
プロをあきらめたくらいから
親父にざんげして
弟子にしてくださいって
一から教えてもらうようになったよ。
親父も第一線でばりばり
やってたからね。
その仕事の骨組み、構造を
書く仕事からやらせてもらって
段々色とか装飾の方も
できるようになって。
そっから営業もはじめた。
100件まわったら1件くらい
仕事はくるって親父に言われて、
それ信じてやってみたら
100件中20件くらい
ほんとに仕事がきたんだよね。
もちろん親父の会社の名前と
実績があったからだろうと思うけど。
そこから段々親父の仕事とは別に
自分の仕事も受け持つようになってきて
それで独立した。
25歳iz factoryを設立。建築の専門学校に入学。
元々独立はするつもりだったのと、
段々親父との仕事の方向性が
違ってきたことかな。
親父は昔ながらの手書きのバース建築だけど
時代は変わってきてるし
俺はコンピュータを使った方が
いいことも知ってるから
そういうのも取り入れたかったよね。
だから建築系の専門学校にも通ったしね
前通ってきたときとは違って
必要なものがわかってるから
すごい勉強になった。
それから
年収も4倍くらいになって、
自分でもびっくりしちゃって。
そっからちょっと調子にのったよね
女にももてたし
いっぱい遊んだと思う。
今度はもっと稼ぐぞって
思って2000万も目指したりして
仕事はきつかったよ!
多い時には月に15件くらい案件がきてたし、
1案件でも月に100枚くらいの案を
提出しないといけないこともあるからね。
睡眠時間は2時間くらいだったし
忙しい時は1時間くらいのときもあった。
もうどっちかというと土建屋さんだよねw
力仕事みたいなもんよ。
でも10年間一度も仕事断ったことないし
一度も遅刻もしたことないんだよね!
そうだね。
でも仕事がきつい、ってよりは
絶対自分に負けない、って
気持ちの方が強かったかな。
常に自分に挑戦してる感じだったよ!
29歳 仕事で経営とアーティスト面で悩む
自分が「日本人であること」。
僕が「原田進歩」とか「FITの学生」 とか
「デザイナー」とか言う前に、
アイデンティティの根っこに
「日本人」 ってものが絶対についてくる。
海外に出ると、
それを嫌でも意識せざるを得ないし、
特にニューヨークみたいに色んな人種が
おるところで何かをしていこうと思うと、
むしろそれをちゃんと持ってへんと
あかんって思うんです。
そういう意味で、
自分が「日本人であること」
を常に意識してます。
あと、おこがましいかもしれないですけど、
僕は「日本代表」なんや、
って常々思ってます。
今はもう日本人なんてどこ行っても
珍しくないと思うんですけど、
これから僕が関わって行く人にとっては、
こっちの意図とは関係なく
僕が「日本人」のイメージ
そのものになる可能性がある。
だから、僕がカッコ悪かったり、
情けなかったりすると、
「日本人」 そのものが
舐められるかもしれない。
逆に僕がカッコよかったり
凄い実力を持ってたら、
「日本人ってかっこええんやな、すげえんやな」
って思ってもらえるかもしれない。
それって今、 海外にいる日本人全てに
言えることやと思うんです。
だから、海外にいる日本人は
全員すでに日本代表なんやと思います。
世界と言うフィールドで、
ずーっと日本代表戦やってるみたいな感じ。
そういう意識を忘れずに
持ち続けていこうとは思ってます。
31歳 ペインターになる為にニューヨーク行きを決意
日本で2年悩んだよ。
そのとき彼女がいて結婚の話もあって。
このまま仕事しながら
安定した収入を得ながら、
家庭をきづくっていうのも
いいかなって思ったときもあったよ。
でも結局はだめだった。
やっぱりスリルを求める
自分の気持ちを抑えきれなかったよね!
本当にアメリカにきてよかった。
いろんなことに感謝できるようになったし
家族にも今までは素直にありがとう
なんて言えなかったけど今は言えるもん!
やっぱり自分がやりたい
ファインアート面でも
トップだっていうのもあるし
自分みたいな人も
いっぱいいるだろうって思って。
好きな南米やメキシコにも近いし。
いまメキシコは
30年前のニューヨークみたいに
アートブームがきてるんだよね。
いつか行きたい!
あと危険なところが好きだよね
スリルをどっかで求めてる!
収入源は全部きらないと、
中途半端じゃ絶対成功しない、
そう肚をくくって全部の顧客を
引き継いできたんだよね。
でも「やっぱり落合にやってほしい」
っていってくれる会社があって。
いまニューヨークにいても
その会社の仕事だけは
引き受けることしてるよ。
やっぱり嬉しいし、
手に職をつけてて
本当によかったなって感じた。
生活費を稼ぐために
何度もバイトしようかなって
思ったけど、その直前にいつも
仕事ないですか?って
その会社に助けを求めるんだよね。
そしたら大体仕事ふってくれて
最近では月1、多くて月4件くらい
くれることもあって。本当にその会社には感謝の気持ちでいっぱい。
そうだよね。
やっぱり好きなことして
こっちでの生活費をかせげて
夢を追えるって
すごい幸せだなって思うよ。
気づけば今が
理想のカタチに近くなってたね!
32歳 渡米 アート活動と仕事に明け暮れる。
ニューヨークは刺激になる!
年齢関係なく目指すところが
近い人が多いから
話してたら俺もがんばろってなる!
日本にいたときは俺死んでたからw
そう考えると今はすごいいい状況。
全く知らないところに住んでみるって
いろんなことがみえてすごくいい。
35歳 芸術と向き合い、今がある。
こっちにきて3年目になるけど
2年間は苦しい時期だった。
はじめは収入がなくなるって
こういうことかぁ、、って
すごく不安が襲ってきたしね。
2 年半で体重15キロも減ったし。
でも最近はすごくいい感じ。
やっぱり自分が表現できるのは
ファインアートだって思った。
自分が全部でる感じがする。
絵をかいてるときなんて
今までにない
エモーショナルな感じになるよ。
日本にいるときはすごい平常心あった。
でもいまはすごい混乱してるよ。
でもその混乱がすげぇ好き!
みんなそうだと思うんだけど
常に上を目指したいっていうか
挑戦していきたいって
そういう気持ちがあるからね。
最近はロングアイランドシティで
個展をひらけたし、
次はチェルシーで開けるかもしれないんだ。
野望『100%わがままなものを出したい』
自分が表現したいものが
見てる人にも感じてもらえるような
作品を出していきたい。
テーマとか補足がなくても
絵だけをみて感じてもらえるような
ものを描きたい。
そのためには自分もいろんな経験をして
スリルを味わっていかないとね!
次、世にに出すものは
100%わがままなものを出したいね!
生き方『お金よりも輝いていたい』
大切なのはお金じゃないって思ってる。
でも自分がやってることが認められて
それでお金になっていったら
すごい幸せだと思う!
自分にチャレンジし続けたい。
贈る言葉『Fly high!! (大志をいだけ!)』
BIOGRAPHY
- 00歳東京で生まれる。
- 05歳”ブルーレット”を見て色の美しさに目覚める
- 08歳美術の授業中好きな色と出会う。
- 14歳スノーボードに出会う。
- 14歳建築パース(建築投影技師)になると決意。
- 16歳ビーナスにはまり性と破壊に目覚める
- 18歳スノートリップ in ニュージーランド
- 19歳専門学校に通うも、一年で挫折。
- 20歳スノートリップ in スイス
- 22歳雪崩にあう。走馬灯を見る
- 24歳仕事に目覚め飛び込み営業開始。
- 25歳iz factoryを設立。建築の専門学校に入学。
- 26歳運気上がる。うなぎ上りに仕事が舞い込む
- 27歳遊びまくる
- 29歳仕事で経営とアーティスト面で悩む
- 30歳人生岐路。もっと自分から発信したい!
- 31歳ペインターになる為、NY行きを決意
- 32歳渡米 アート活動と仕事に明け暮れる。
- 35歳芸術と向き合い、今がある。
自分も迷った。
築き上げて来た事を捨ててまでして
行く価値はあるのか?
結果、よかった。
もし飛び出してなかったら後悔してたと思う。
飛んだ今、後悔はない。むしろ成功だと思う。
つらくても自分で選んだ道だから
すべて成長するすべと受け入れることが出来る。
Fly high!! (大志をいだけ)!
今後の挑戦
- 2013年 作品制作
- 2014年 作品制作 自分の絵を認知してもらえるよう。営業活動
- 2015年 絵で人を幸せに出来るようになりたい