「日本にいても海外のことは学べると思いますが、それでも海外行く必要はありますか?」
昨日の続き、
「日本にいても海外のことは学べると思いますが、それでも海外行く必要はありますか?」
この質問、気持ちすごくわかる。
今の時代、大体の情報はどこにいても手に入る。
語学の勉強だって日本からでもできる。
下手したらニューヨークに行くより、
日本いながらニューヨーク通になってる人もいる。
そんな日本の学生の質問に僕は、
「日本にいても十分頭では学べるが、白人に見下された時の悔しさとか日本人としての自信がない自分への憤りとか、そういった肌感は日本にいては感じれない。そういう悔しさや心が震えるような経験が行動への原動力となることは多くあります。少なくとも僕はそうでした」
と答えた。
この溜まり場も、ジャパンフェスをやってるのも、日本人を海外に出すために留学事業をやってるのも、ニューヨークに来てから始めたこと。日本にいた時は考えもしなかったことばかり。そしてそれは頭で考えてやろって思ったわけじゃない、全部自分自身の体験、鮮烈な肌感が行動の原動力となっている。
この質問の気持ちがすごくわかるのは僕自身、日本いた時にたくさん読書をし、日本だめだ、日本の未来やべー、俺もやべー、って頭で思っていたからだ。でも実際海外に出てみたら、日本意外といけてんじゃん、とか、なのになんで日本人舐められてんだ?、とか全く違う視点が生まれた。それは頭でわかったというより、肌感、もっと言えば腹にズンッと感じたことだった。
頭で理解するのと腹で感じることは違う。
とんでもなく違う。
腹を括る。腹で決める。
昔の人たちもそう言ってたように、
行動の原動力となるのはいつだって頭ではない、腹だ。
もし行動したいのなら頭でっかちになるな。
腹に感じさせろ。
腹に響かせろ。