缶ジュースに負けるな
人は<今>が大好きだ。
前のブログで、
コロナで目の前のことにいっぱいいっぱいになることの
危険性について書いたが、これは心理学で説明できるようだ。
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心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが、ある一見単純そうな質問を行なった。もし私がいますぐ一〇〇ドルか一週間後に一一〇ドルあげると言ったら、あなたはどちらを選びますか? という質問だった。ほとんどの被験者はすぐに一〇〇ドルもらうほうを選んだ。もう一〇ドルもらうために、まる一週間待つだけの価値はないように思えたのだ。 次に二人は質問を少し変えた。もし私が五二週間後に一〇〇ドルか五三週間後に一一〇ドルあげると言ったら、あなたはどちらを選びますか? この場合、人々は選好を変えて、五三週間待つほうを選ぶ傾向があった。一週間余計に待つことで一〇ドル余計に手に入るという点で、二つのシナリオはまったく同じであることに注意してほしい。ではなぜ、この二つで選好が逆転するのだろう? なぜなら、人は将来を「割り引く」からだ。
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確かに五十二週間後と五十三週間後を比べると、
その一週間の差は豆粒みたいに感じる。
全く同じ一週間なのに恐ろしい。。
どうやら人は「今」にものすごい価値を置く生き物らしい。
でも確かにそうかもしれない。
小学3年生の時の缶ジュース、
あの120円がどれだけ貴重に思えたことか。
どれだけ必死に我慢して貯金に回したことか。
でも数十年経った今はどうか。
正直120円の価値はあの時と比べたら、
豆粒くらいになっている。
それほど悩まなくてもジュースは買える。
そんな120円をケチらずに、
経験値に変えろと小学生の自分に言いたい。
長期的に見るとはこういうことだ。
コロナで目の前のお金や人間関係でみんな大変だ。
お金がきっかけで壊れた人間関係もあるだろう。
でもそんな時にこそ長期的に考えないといけない。
数十年後に振り返れば、
その目の前のお金の問題は、
缶ジュースになってる可能性は高い。
そんな缶ジュースごときで
大切な人間関係を失うほどバカな話はない。
僕はお金がない時ほど
人のためにお金を使え、
というルールをも設けている。
貯金20万しかない時に、
友人の結婚式に出るために
弾丸2泊で日本に帰ってたし、
200万しかない時に200万お金を貸したこともある。
自分の生活費はクレジットカードでなんとかした。
1億ある人が10万円貸せるのは当たり前だが、
10万円しかない人が10万円誰かのために差し出せたら、
かっこいい。そういう人でありたいと常々思って生きてきた。
今回も正直
ニューヨークは大変なことになってるが、
このルールを実践している。
それで今までもなんとかなってきたし、
どうせいつか缶ジュースになる。
缶ジュースに負けるな。