ビートルズに目覚めアメリカで夢が実現

Hide IkumoHide Ikumo - ミュージシャン
音楽好きな少年が留学するのは良くある話だが、ヒデさんは自分でチャンスを掴み夢を次々と実現させていく才能のあるミュージシャン。これからアメリカに行きたい人には参考になる部分が沢山あると思いご紹介させて頂きました。

対談者:SAYAKA

SAYAKA

友人を通じて知り合いました。日米両方で活動しているHIDEさん、自分からチャンスを切り開いて行くところを皆さんにお伝えしたいと思い取材させて頂きました。

[公開日] 2018/02/01(最終更新:2018/02/08)

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13歳 ギターを始めたきっかけ

ギターを始めたきっかけ
SAYAKA― なぜギターに興味を持ったんですか?
Hide Ikumo

ギターに興味を持ったのは中学1年の頃です。ちょうどサザンが好きで桑田 佳祐がギターを弾いていたのを見て弾きたいと思ったんです。
そして家にクラシックギターがあったので、それをポロポロって何も分からず弾いたのがきっかけですね。

SAYAKA― どなたかご家族がギターを弾いていたんですか?
Hide Ikumo

弾いているところを見たことは無いんですが、日本で昔クラシックギターブームみたいなのがあったらしく、多分ウチの父がその頃少し弾いていたのでは?という感じですね。

SAYAKA― 音楽はどういうものを好んでいていたんでしょうか?
Hide Ikumo

洋楽ですね。ビートルズやクイーンを好んでいました。ビートルズが一番最初に入った洋楽なんですが、僕の大好きな桑田 佳祐が著書で「ジョン•レノンは神だ」のようなこと言っていて、自分が憧れている桑田さんが凄いと言うビートルズとかジョン•レノンとはどんなんだろうと思ったんです。
アメリカでは、当たり前に子供もビートルズやジョン•レノンは知っていますが、僕は日本の田舎の静岡の子供だったんで、ビートルズに触れる機会は無かったんです。
それで聴いてみたら、凄く衝撃が大きかったんです。

16歳モンタナ州に1年間留学

モンタナ州に1年間留学
SAYAKA― これは何留学だったんですか?
Hide Ikumo

アメリカの高校で語学を学びたいと思い一年間行ったんです。留学しようと思った理由はふたつあって、ひとつはビートルズが好きで中学生の頃からこんな音楽がやりたいと洋楽に憧れていました。
その為には英語は必要だし、好きだったのもあって、また白人の女の子も好きなんで(笑)。またその時期は反抗期ですから、日本でなんかやってられるか?みたいな状態だったんです。

 

中学では凄く自分の中では腑に落ちない矛盾を先生達から感じられたので、アメリカが解決策かどうかなんかは考えて無かったんですが、自分のその時のイメージのアメリカなら こんなことは無いだろうというような浅はかな考えもあったかもしれません。多分違う世界に行きたいというのもあったと思います。

SAYAKA― モンタナ州を選んだのは、何故?
Hide Ikumo

これは僕にはチョイスが無かったんです。留学プログラムが有りまして、彼らが一斉にホストファミリーを募集するのですが、たまたま僕を選んでくれたホストファミリーがモンタナ州に住んでたんです。

SAYAKA― 初めての留学でアメリカとの文化の違いなども含め何を感じましたか?何かストーリー があればお聞かせ下さい。
Hide Ikumo

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凄く鮮明に覚えています。トータル的には凄く良かったんですが、最初は友達とかも居なかったんです。
渡米する前のイメージでは、「日本から人が来た」ということでもう少し珍しがられてキャーキャーされるのかな?と思って行ったんですが、特にワーキャーと騒がれもしれないんですよ。多分良い意味で普通に扱われていたのだと思うのですが。

 

凄い小さなコミュニティなので彼らは全員知り合いで顔を知っているという状況なんです。そういう中に英語も上手くない中いきなり放り込まれたわけなんです。
アメリカの人は「Hey Men」って感じでもっと友達になってくれるんじゃなかったのか!?って最初は思っていたんです。
そして授業を取ったクラスのひとつが音楽のクラスだったんですが、そのクラスではバスケの試合だったり、学校のスポーツの試合のハーフタイムで演奏をしなくてはならなかったんです。
基本的に僕以外、皆ブラスバンドなんですが、僕はエレキギターで”ジョニー・B.グッド”とかしか弾けませんと先生の前で弾くと、「おまえの為にこれを俺がアレンジしてあげるから今度の大会で弾け」って言われたんです。

 

 

”ジョニー・B.グッド”と言えばギターソロが凄く印象的で、誰もが知っている曲なんです。
それで弾いたら、自分たちの学校の生徒も、相手校の生徒も含め体育館中がぶあーっと盛り上がったんです。
それをキッカケに、「あの日本人は凄いギターが弾けるぞ」って言われ友達が沢山出来たんです。
それが結構早い時期に起きたのであまり寂しい思いはしなく自信を持てる様になったんです。

SAYAKA― 文化の違いはどうですか?
Hide Ikumo

特に仰天するような文化の違いは無かったですが言葉は難しかったですね。でもそれを前提に逆にそれを利用して行き伸びていましたね。
でもあるとすれば、体育の時間に驚いたことがあります。
日本と違って体育の後シャワーを浴びることが出来るんです。合同でその場で全員裸になってシャワーを浴びるというのにびっくりしました。

日本にいるとアメリカ人は温泉でも水着を着ると言うイメージがあるじゃないですか?なのにいきなり全員全裸になったので、初日凄く戸惑ったんですが、恥ずかしがったらバカにされると思い普通に浴びました。でも思春期の同性同士なので日本だと恥ずかしいと思います。

SAYAKA― 例えば時間に皆ルーズだったりとか、そういうのは気になりませんでしたか?
Hide Ikumo

結構皆高校の時はキチンとしていましたね。今のように大人として一人で生きるというのとはまた違い、ホストファミリーとの付き合いがほぼ全てなので、例えば「アメリカの郵便局がルーズで嫌!」みたいな世間に対する不満みたいなものはありませんでした。

 

 

ただ嫌だったのはホストファミリーが毎週日曜日に教会に連れて行くんです。モルモン教なんで賛美歌とかは歌いますが、英語が分からないので凄くつまらなかったです。

17歳留学生活を終え帰国

留学生活を終え帰国
SAYAKA― 1年間の留学生活の後また日本での生活が始まりましたがギャップはありましたか?
Hide Ikumo

日本に帰国した時の方が正直ギャップは大きく、周りの人が気取ってるように見えました。
クールぶっているのが嫌だったです。

 

あと日本では学校で大便が出来ない環境ですね。というのは、アメリカの学校ではトイレで大便を出来るのが当たり前の環境なんですが、日本では大便をしているところがバレると皆に馬鹿にされるんですよ。
実は帰国後日本のそんな環境をすっかり忘れていて普通にしたら笑われたんですよ。
また、アメリカの高校でカルチャーショックだったのは、男子便所の大便するトイレに扉が無いんです。普通に横の壁はあるんですけど、扉が無くて丸見えなんです。

SAYAKA― それ逆に勇気要らなかったんですか?
Hide Ikumo

はじめは凄く勇気が行ったのですが、皆普通にしてるのでそういうもんなんだと受け入れられました。

SAYAKA― えっ?それは学校だけですか?それともアメリカの男子便所はどこもそうなんですか?
Hide Ikumo

普通はありますよ。ロサンゼルスの学校には普通に扉があったのでモンタナ州のその高校だけがそうだったのかもしれません。
噂で聞いたのは、アメリカだとトイレで隠れてタバコを吸ったりドラッグをやったりというのもあるから扉が無いという噂も聞きましたね。

 

 

髪の毛脱色が日本は厳しいと思いました。アメリカだとそれが悪い象徴では無いのでギャップを感じましたよね。
日本ではどうしても不良のシンボルとして脱色みたいなイメージがあるみたいで、僕はそういうつもりではなかったので先生と話し合いはしました。

 

 

日本に帰って来て窮屈だと思ったことは無いのですが、でもすぐにアメリカに戻りたいと思うことは多々有りましたね。
アメリカの方がやはりエキサイティングでしたし、音楽も良かったしアメリカの方が女の子も可愛いのでそう思ったんです。

20歳再渡米、サンタモニカカレッジ入学

再渡米、サンタモニカカレッジ入学
SAYAKA― 再び留学しようと思ったのは?ここを選んだ理由は?LAに行きたいとかあったんですか?
Hide Ikumo

日本に帰って来てから常にアメリカの大学に行きたいと思ってました。
僕の高校が進学校だったこともあり、周りが受験モードなのでそこから逃げる気もあったと思います。
ほんと良く分からなかったんですが、なんとなく調べて、何となく受かったみたいな状況だったんです。

 

 

モンタナ州に居た時にNYの楽器屋から通販で色々購入してたんですよ。
通販で買った時に、そこの楽器屋の人が「俺はプロのミュージシャンだ」って言ってたんです。
当時僕は高校生だったのでプロのミュージシャンって言われたら、「おおーー!」ってなるわけですよ。
今でこそプロのミュージシャンって言う人はゴロゴロいますけどね(笑)

 

 

日本に戻った時に、またアメリカに帰るとしたら、今度は何処の都市に行けばいいんだろう?って考えた訳ですよ。
そこで日本から、またその楽器屋さんに電話して「貴方プロのミュージシャンって言ってましたよね?アメリカに戻ろうと思ってるんですが何処の都市に行けばプロになれますか?」って聞いたんですよ。
そしたら「ロサンゼルスかニューヨークだ!」って言われたんです。それでロサンゼルスの方が暖かいので選んだという訳です。

 

 

ーーでもその人の言ってること結構合ってますよね。

 

 

実際にその楽器屋さん本当にプロだったんですよ。
ニュー・イングランドってバンドのメンバーだったらしいです。

SAYAKA― 学部は何学部ですか?
Hide Ikumo

音楽メジャーでクラシックギターを始めたんです。
これを選んだ理由は、学校にロックやポップのジャンルが無かったのと、ビートルズが好きなので ジョージ・マーティンがクラシックの畑の人と言うの知ってたので。
クラシックを勉強したら自分でも出来るかなという発想で選んだんです。
またジェームス・ディーンも行ってた学校だから、憧れで行ったというところもあります。

22歳UCLAに編入

UCLAに編入
SAYAKA― クラシックギター専攻とありますが、なぜ編入しようと思ったんでしょうか?
Hide Ikumo

元々サンタモニカカレッジに入った時から将来的に行きたいと思っていたんですよ。
でも実際にはオリエンテーションで編入制度を聴いて、これは良いと思った。サンタモニカカレッジはUCLAに編入してる確率が高いという説明があって良いと思ったんです。

 

自分の留学生活を伸ばしたいというのと、UCLAというネームバリューが親を安心させれるというのもありましたよね。
日本人の留学生に多いと思うんですが、親が留学費用を援助してくれる手前そういうのもあったと思います。
日本でよく一般的に言われるのは、アメリカの大学は入るのが簡単だけど出るのが難しいということです。
しかし実際は高校の時の様に真面目に普通にやってたらそんなに難しいことではないと思います。

日本では大学入るのが目的で、入ってしまったら授業に出なくなったりする人も多いみたいですよね。
それでも卒業出来る日本の制度に疑問を感じますが、そういうのが違いなんじゃないかなと僕は思いました。

SAYAKA― クラッシックギター科では、どんなことを学ばれましたか? またここで勉強 した事が、後にどのように役に立ったか教えてください。
Hide Ikumo

音楽学部の中にあるんですが、理論、音楽歴史、第二語学など全員必修のものが有り、ギターのプライベートレッスン、ギター科の人達が集ってアンサンブルをやったりというのがありました。
しかし、これが物足りなくて、USC(南カリフォルニア大学)というUCLAのライバル校で教えている有名教授から個人的にプライベートレッスンを受けていました。

 

今のメインはソングライターですが、一番役に立っているのは、作曲や理論と音楽歴史です。
勉強しているときは、何でこんなのが役に立つのかと思っていましたが、終ってみたらこれが実際に役に立っていることが多いんです。

 

今の時代もジャズやロックなどと音楽のジャンル分けがありますが、中世の時代などでもフランスで作られる音楽とイタリアで作られる音楽が全然違っていたりしたそうです。

 

フランスではハーモニーを凄く重視した複雑なものをやる一方、イタリアでは伴奏に歌が載るという歌曲をプッシュしていて、お互いに競い合っていたようです。その辺りがいつの時代もあるんだなと面白いですよね。

SAYAKA― 卒業後は、どのような活動をされていましたか?
Hide Ikumo

大学に居る間は、もの凄くギターが上手くなりたくて、人一倍練習しました。
しかし大学卒業して、あれって思ったんです。これでどうするの?って感じで。

 

 

就職のサポートが大学には無いんです。0です。
これはUCLAに限ったことでは無くて、USCもそうなんです。相方のヴァレリーも口を酸っぱくして言っているのが、「音楽学校は音楽しか教えないのが問題だ、もっとそこで教えたことを使って世の中でどうやって生きて行くかというのを教えてくれないとミュージシャン達は卒業後困る」と言っています。
ビジネスサイドを全然教えてくれないのが問題ですね。

 

クラシックの演奏家になれないのは理解出来るが(一握りの人間しかなれないので)でも例えば先生としてスタジオを広めるにはどうしたらいいかとか、どうやって人を集めれば良いのかなど 学校は教えるべきだ。と彼女は言っています。

 

 

僕は、UCLAの後にUSCのマスター(修士課程)に奨学金を貰って行こうとしていたんです。
クラシックギターにどっぷりハマっていたこともあり、オーディションもパスして奨学金ももらえる状態だったんですが、USCってシステムがちょっと面白くて、大学と学部と両方合格しないといけないシステムなんですよ。

 

僕は音楽の学部の方で合格してたんですが、トーフルの通知が届いてないというハプニング(実際には出している)が起きまして、先方の手続きのミステイクで入学を却下されたんです。
これは完全な手違いなんですが、他の人に聞いたらUSCって結構こういう手違いが多いらしいんです。それで僕の周りにも同じ様な状況の人が一人いました。

 

 

一年間はOPTがあったので、子供達に音楽を教えるプログラムがあるのでそこで教えていました。
ギターは勿論少しは弾けますが、世の中には自分よりも上手いギタリストなんて星の数程いるわけで、自分はこれを使って、どうすればいいのか?と考えました。

 

 

初心に戻り、そもそもは、ロックをやりにアメリカに来たのを思い出しロックをもう一度きちんとやろうと決心したんです。
自分にチャンスを与える意味でも、これはプロのスタジオでレコーディングをしないといけないと思ったんです。

 

当時貧乏で$600しか予算がなかったんです。
今だったら$600なんかで何が出来る?って思っちゃう額ですが、当時の自分には、その$600が大金なわけで、レコーディングに$600使うなんて良いのかなとドキドキするくらいでした。

 

そしてプロのスタジオに行きました。ここは友人のおじさんがやってるスタジオだったので融通が利いて、予算上レコーディングは出来ないけどミックスをしてくれることになりました。
UCLAのネットワークを使って、大学のホールをこっそり借り内緒でレコーディングしたんです。その音源をスタジオに持って行きました。

 

元々ビートルズの影響でクラッシクを始めたので、楽曲はクラシック音楽が反映されるものにしました。
具体的にはビートルズのイエスタディの様な弦楽四重奏のアレンジをしました。演奏は学校の弦楽奏者がフリーで手伝ってくれました。
それをスタジオに持って行ったら、トム•ウィアーというグラミーを獲っているミキシングエンジニアに手がけてもらえることになりました。

 

音源を彼に聴かせると「何だこれ?おまえがやったの?プレイヤーはどうして集めたの?誰が弾いてるの? おまえ凄いじゃないかと」
と言われ、その後俺のプロジェクトでこういうアレンジをして欲しいと言われその1週間後からこのエンジニアさんからストリングアレンジャーとしての仕事を貰える様になったんです。

 

このように仕事をやっていくうちに、クライアントさんとも沢山知り合う様になるわけです。
大学では学校の勉強を一生懸命やって充実していましたが、それは最低限だったというを思い知らされました。

 

大学時代には勉強することに加え、外に出て、プロの世界に入って行かなきゃいけなかったんですね。
直接仕事にならないとしても、パーティーとかに行って人と出会い、沢山人脈を作らなくてはいけなかったんだと気がつきました。

 

学業に満足していてパーティーを軽蔑していたらいけないんだと思いました。ですので大学生の皆さんには凄くこのことを伝えたいですね。
プロの人達と出会えるところに行かなきゃいけないわけです。

 

 

自分は運良く飛び込んだスタジオのお陰で仕事を貰えましたが、大学時代にもしプロのいるところに行く活動をしていたら、この人脈が出来ていたらもっと早くにいろいろ動けていた訳です。

 

 

 

自分の音源は最終的に出来た訳ですが、ネットワークが無かったので結局聴いてくれる人が居た訳でもなかったんです。
レコード会社に送ってもひっかからず、どうしようかと悩んでいました。
そんなとき、半ヤケクソで「羅府新報」という日系の電話帳があるんですが、そこに「貴方夢を叶えます」という書き込みがあったので、そこに電話したんですよ。
そしたら、そこが音楽のスタジオだったんですが、こういう理由で音楽をやりたいので聴いて頂けませんか?とお願いしてスタジオで音源を聴いてもらったんですよ。

 

その人もビートルズが好きな方で凄く気に入って頂いて意気投合したんです。
その方は喜多嶋修さん、(喜多嶋 舞の父で 加山雄三のいとこの音楽プロデューサー)だったんです。
勿論スタジオに行く前は全然どなたか分かりませんでした。それで一緒に、日本語でビートルズの完コピをやるプロジェクトを始めることになったんです。

 

出来るだけ同じ機材を使い、出来るだけ同じ音になるように。
ドラマーのJim Keltner(ポール以外のビートルズのメンバーのソロ時代を支えたドラマー)を知人から紹介してもらい、録音に参加していただきました。

 

その後、Jim Keltnerと友人になり、交流が深まって僕の活動を応援してくれるようになり、ジェリー・リー・ルイスのストリングアレンジなどもふってくれました。1931058_28840149529_2601_n

26歳レイラ・レーン結成

レイラ・レーン結成
SAYAKA― レイラ・レーン結成のいきさつをお話ください
Hide Ikumo

日本人一人は不利と思ってたのでアメリカ人とバンドをやろうとメンバーを探してました。
そんな中USCの音楽科を卒業したヴァレリーに逢い、自分のレコーディングでピアノを弾いて貰い、意気投合しライブにも参加して貰っている間に自然な流れでメンバーになったんです。

27歳憧れのリンゴ・スターと対面

憧れのリンゴ・スターと対面
SAYAKA― なにがきっかけだったんですか?
Hide Ikumo

ある日Jim Keltnerが「おまえ、リンゴと演奏したくないか?」って聞いて来て、リンゴのセッションに招待してくれたんですよ。
現場に行ったらTVドキュメンタリーの撮影だったんです。
それでセッションではリンゴが来る前に他のメンバーと演奏してたんですよ、 そしたらリンゴが入って来たんですが、直に出て行ってしまって。
2回目に入って来た時にまっすぐ僕のところに来て「Jimから君のことは聞いているよ、君は良いギタリストでベースも弾けて、作曲も出来てファッションセンスも良いね」と褒めてくれたんです。もうその言葉に舞い上がってしまって、何を言って良いか分からず、リンゴに「貴方いいにおいしますね」って言ってしまったんです(笑) もう今思い出しても夢みたいでした。

 

 

そしてその時にリンゴが昔ソロでリリースしている「You’re Sixteen」という曲を一緒にやったんです。本当はリンゴが歌を歌う筈だったんですが、機嫌が悪くなり、おまえが歌えって言って来ましたが、僕は歌詞すら知らないので断りました。

 

セッションは非常に嬉しかったんですが、他のメンバーが皆年配のレジェンド(平均年齢60-65歳)達だったので圧倒されました。

 

そんな大物達の中で拙いギターを弾くという状態に自分で不甲斐なさ感じました。
そんなこともあり最後に写真撮影があったんですけど、その場に自分から行きにくて撮影を見ていたら、リンゴが「若いの、なにやってんだ、おまえも一緒に入れ」って言ってくれて僕も無事にその写真撮影に収まったんです。

27歳ハリウッド映画「キス&キル」の挿入歌に起用

SAYAKA― これはオーディションだったんですか?
Hide Ikumo

実は当時僕がギターを教えていた生徒がこの映画のプロデューサーだったんですよ。
それで、ジャンゴラインハルト(Django Reinhardt)の様な曲を24時間以内に欲しいんだけど、そういうの出来ないかな?って聞かれて、偶然にも既にそういう曲があったので、送ったら決まったというラッキーな流れなんです。
またこの映画の楽曲提供により結構な収入を得たので、そのときハリウッドの凄さを感じましたね。

28歳コカ・コーラCMソングに抜擢 avexよりメジャーデビュー

コカ・コーラCMソングに抜擢 avexよりメジャーデビュー
SAYAKA― 日本でメジャーデビューした経緯をお話しください。
Hide Ikumo

レイラ・レーンを日本で活動するための資金集めを日本に行ってやっている間にコカ・コーラの人と対面し決まりました。
それが決まったらavexが興味をを持ち契約にいたりミニアルバムをリリース出来たんです。hide アー写3

SAYAKA― 日本でメジャーデビューしたのに、日本に移住しなかった理由は?
Hide Ikumo

ヴァレリーが日本での生活が難しいのと、自分にそういう考えが無かったですね。

SAYAKA― メジャーデビューしたことにより、何か人生が変わった事は?
Hide Ikumo

人の見方が変わった。手のひらを返すように新しくあう人達の態度が良い意味で変わりましたね。
(VIP対応)アメリカで音楽活動してるヒデというよりも、コカ・コーラCMをやっているヒデみたいな見方に変わった様で学歴みたいな感じですよね(笑)

30歳2度目の日本のコカ・コーラCMソング担当

SAYAKA― コカ・コーラと何年契約 とかあったのですか?
Hide Ikumo

1回目の評判が非常に高く2度目もチャンスも頂いたんです。
個人的には2度の目楽曲の方がレイラ・レーンらしい雰囲気に仕上がったと思いますね。

32歳サンプラザ中野くん(爆風スランプ)と出会い、一緒に音楽を作るようになる

サンプラザ中野くん(爆風スランプ)と出会い、一緒に音楽を作るようになる
SAYAKA― 出会ったきっかけは?
Hide Ikumo

アメリカのカフェで自分たちが定期的にライブをしていたんです。
そしたら偶然にも彼がそのカフェにふらっと現れて、あれ、中野くんかな?って思ったんで 僕がその場で「ランナー」を弾いてみたんです。
そしたら中野くんがステージに来て「僕が歌います」って言い出し、セッションが急遽始まり仲良くなったんです。
その場で中野くんが「僕たちバンド作りました!」とステージで行ったので、それを僕が本気にして楽曲を送ったりという交流が始まり、本当に一緒に活動することになったんですよ(笑)偶然とは言え縁ですよね。

34歳ー 坊坊主アルバム「励ます」に楽曲提供サンプラザ中野くんデビュー30周年を記念したアルバムに「ドリーマー」という楽曲を提供しました。
坊坊主アルバム「励ます」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B010GFV4N0/nataliemusic-22

現在は2018年に向けコラボ企画を進行中ですので今後をご期待ください。

野望幸せに生きること

理想の生き方自分が好きなことをやって行きていく

メッセージ今回のインタビュー中にいろんなヒントがあるので感じて

Hide Ikumo

興味を持った人はツイキャスを見てください。

今後の挑戦は、自分が憧れているアーティスト達と今後も仕事をしていきます。
これからアメリカ進出したい方にアドバイスとしては、アメリカで何かをしたいなら長期滞在をおすすめします。

 

Hide Ikumo

Hide Ikumo - ミュージシャン()
脱PAN年齢:16歳(, ,
海外出るとき捨てたもの:とくになし
Los Angeles(在住経験地:, ,
, ,

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