「誠」
最近、新メニューが多くて、
お店で試食の機会が増えてきた。
僕の食生活の唯一の例外タイムだ。
食生活の掟
ルール1 朝6時から昼2時までの8時間しか食べない
ルール2 限りなく糖質を食べない
これを毎日続けてるが、
仕事の時だけは番外編としている。
そんな今日、
試食をかねてお店へ出向いたら、
日本人のおじちゃんが食べに来てたので
ついつい2時間ほど話し込んでしまった。
彼は言った。
「中国や韓国は日本人を騙していいとことだけ盗んでいく。僕はそれが許せない」
「都合よく使われて捨てられた日本人の後輩をたくさん見てきた」
よくよく話を聞けば、彼は技術者として日本やアジアででかなり知られた人だった。
誠実さ
日本人は誠実だと思う。
だがそれが世界では裏目に出てることが多い。
【誠実】 私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること
誠実さは本当に大切にすべきものなのだろうか。
これを実践すればこの世界で生きていけるのだろうか。
16世紀、無敵艦隊スペインはインカ帝国、アステカ帝国を征服した。
それは誠実さとはかけ離れた騙し技で勝ち取った勝利だった。
相手を信じた中南米の帝国の民は壊滅した。
21世紀、
アメリカはイラクに一方的な戦争を仕掛けた。
核はないと誠実に主張したイラクの大統領だったが
結果は誰もが知る通り無残なものだった。
こんな弱肉強食の世界の歴史の中で、
誠実さは本当に最優先されるべきものだろうか。
日本人は世界と比べれば明らかに誠実だ。
だがアメリカに来て思った。
この国は誠実に生きたら騙されると。
契約書。
基本的に文句を言わなければ、
ぼったくられるように作られてる。
値付け。
基本的に値段交渉しないと、
ぼったくられた価格になっている。
それを知らない日本人は、
痛い目に遭うまでぼったくられる。
日本人はいい人たちだ、
という外国人の半分は、
日本人は都合のいい人たちだ、
という認識が心の底にある。
特にビジネスにおいては明らかで、
ニューヨークでも騙された日本人の話をよく聞く。
ちょうど今週もお店に入社してきた
年長の日本人シェフの方の話を聞くと
明らかに前職の韓国人オーナーに
お金をぼったくられていたので
それを理路整然と教えてあげた。
彼はニューヨーク歴、
20年以上になると思うが
騙されてることに気付いてさえいなかった。
残念ながらこれが、
日本人の誠実さの結果だ。
「弱者の誠実さ」
誠実さは優しさや真面目さと一緒で
誰もが持つべきであることは間違いない。
でも同時に、
優しく真面目なだけの男が都合よく扱われるように
誠実なだけの日本人は利用されて捨てられるという現実がある。
これははっきりって
「弱者の誠実さ」だ。
誠実であることを選んでるのではなく、
そうせざるを得ない微弱な誠実さだと言える。
歴史を見る限り、
世界は間違いなく綺麗事で詰み上がってきてない。
弱者の誠実さだけで生き抜けるほど
この人間界はユートピアではない。
「弱者の誠実さ」と「強者の誠実さ」
「誠実さ」とは
いかにも騙されそうな顔して、
日々垂れ流すものではなく、
ここぞという時に歯を食いしばり、
体を張って差し出すものだ。
徳川家康が捨て身を覚悟で織田信長のために
武田軍に戦いを挑んだように。
秀吉が捨て身で織田信長のために殿を務めたように。
ルフィが捨て身でロビンを助けに行ったように。
「強者の誠実さ」とは覚悟が必要なのだ。
「弱者の誠実さ」が染み付いた
日本人は一度アウェーで挑戦し、
薄っぺらい己の誠実さを利用され、
相手に騙され、その自分の未熟さ故に、
大切な人を傷つけ、くやしい思いをする、
そこから始めなければならにない。
そういう経験をして初めて、
綺麗事ではない、
「強者の誠実さ」が身につくのだと
アメリカ10年たって思ったのであった。
10年かかった。