海外挑戦者の溜まり場

[特集] 挑戦者は今!インタビューから現在までどんな挑戦を!?

成功者より挑戦者。大事なのは成功することではなく、挑戦し続けること。片時の成功ではなく長期的な熱狂。その足跡を記録していきます。
挫折と飛躍の3年間
ーここ3年を振り返ってどうでしたか?

ソロアルバムを作りながら、
バイトをしながら生活していました。
二つアルバムを作ったんですが、
あまり感触がよくなかったんです。

今は音楽のトラッキングコードがあって、
どれだけ聞かれているかがわかるんですが、
1週間だれにも聞かれていなかったり、
精神的にダメージが大きかったです。

ただアーティストビザ取得を目指していたので、
実績を作らないとという焦りがあって、
その中で友人のCGアーティストとコラボして、
ビデオプロジェクトを始めたのが
大きな転機になりました。

ミュージックビデオ作成や
映像とのコラボの下地はあったことと、
CGの中でもMicrosoftのキネクトという
新しいCG技術を使って、かつ二つのキネクト端末を
使用したところに革新性があったと思う。

結果的に有名なブログとか
一部メディアに取り上げられて、
世間体的に認知が広がって、
Microsoftのコマーシャルにもして頂きました。 もっと読む
念願のオペラ団体「オペラポムルージュ」設立!NPO化!

念願のオペラ団体「オペラポムルージュ」設立!NPO化!

ーオペラ団体設立について教えてください!

私はアメリカにきてから学校にいったわけではなく
メトロポリタンオペラ歌劇場という、
北アメリカ大陸で最大のオペラ歌劇場で
研修をしたのがアメリカ活動の始めです。

メトロポリタンオペラはアメリカの中で
唯一ヨーロッパスタイルを取る歌劇場なので、
アメリカの中では特殊で、他オペラ団体との
絡みはほとんどないんですね。

それで一年間研修して解放されたら
メトロポリタンオペラ以外のNYの
オペラ事情に関して何もわかっていなかった。
なので、どういう風にこの業界に入って
行ったらいいのか途方にくれました。

ヨーロッパに住んでいた時は
毎年一年間に2本3本くらい、
自分で演出をしながら、
演出助手や照明としても違うオペラ作品に
何本も携わるような生活してましたから、
そのペースに戻りたい、オペラに携わりたい、
作品を作りたいっ、という気持ちで、
毎日まさに喉から手が出るような心境。
そんな気持ちがぐーっと極限まで盛り上がって、
ついに思い立ったのが、自分でその場所を
作っちゃった方が早いんじゃない?ということ。
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日本を世界へ発信するために模索し続けた3年間

日本を世界へ発信するために模索し続けた3年間

ー3年間何してた?

日本を世界へ発信するために、
自分が具体的に何をできるかを
模索し続けた3年間やった。

世界進出に取り組む某R社へ入社し、
海外事業部設立に携わって、
世界9ヶ国で30プロジェクトを運用して、
理想と現実、人種の壁を感じたり。

日本酒で世界をつなぐため「SAKE+」
「Japan Sake Fest.」を設立して、
日本酒の日に世界5ヶ国で乾杯を行って、
世界の酒好きと酒蔵を繋ぐ
ネットワークを作ったり。

日本発イノベーションを世界へ発信するために
監査法人グループ内のオープンイノベーションを
推進する会社に転職して、日本政府や大企業、
ベンチャー企業の意志を反映・支援する
エコシステムを構築したり。 もっと読む
周りの人に支えられ続けた3年間

周りの人に支えられ続けた3年間

ーなぜ18年住んだニューヨークを離れ、日本帰国を決意したんですか?

ニューヨークで三店舗の
日本酒バー立ち上げに携わってきて
特にNYの「Kirakuya」という店では、
店のメニューはもちろん、
内装からコンセプト作りまで、
全て自分で監修することが出来た。

全部の店がとてもうまくいって、
日本から蔵元さんを呼んで
日本酒ナイトをよく開催してたんやけど
蔵元さんがびっくりするくらい日本酒が売れた。

ただよく言われてたのは、
アメリカだから成功したんじゃないかと。
日本だったら成功しなかったんじゃないかと。

自分の中でもコンプレックスがあって、
日本で自分の実力を試したかったし
人生一回きりの中で、今うごかんかったら
もう絶対動かれへんとおもったから、
全くコネのなかった日本で勝負することを決めてん。 もっと読む
助走期間24年!ブレイクスルー!!

助走期間24年!ブレイクスルー!!

ーブレイクスルーのきっかけは?

ブレイクスルーがあったきっかけは、
エージェントから新しいヘッドショットの
要請があったことやった。

写真を見たエージェントが、
「よしは昔とかわらないなー」
「これいつの写真やねん?」
っていう反応が返ってきた。
とにかく一度会おうということで。

たまたま会う当日の朝に、
強面のおっさんの役のオーディションがあって
オールバックでバシッと髪型決めて
そのままエージェントにあったら、
全然そのほうがいいやんって。

よしは今まで年齢がわかりにくかったけど
白髪のアジア人でイケてる奴なんて滅多におらんから、
これはもっと売れるで!といわれて
がーんって衝撃が走った。

周りの反応もすごい良くて、
NBCのテレビシリーズにキャストされたり、
オーディション会場でキャスティング・ディレクター直々に
声をかけられたり、 もっと読む
日々上達を実感する日々
ーここ3年振り返ってどうやった?

毎年一年ずつよくなってるなって思う。
仕事が増えてることと、
英語も上達していることと、
あと苦手やったトレーニングを
受けることを前向きに始めてん。

トレーニングが嫌いやってんけど、
思い知らされることが多くて、
アメリカでやっていきたいと思っているなら、
発音のトレーニングは必要と
フィードバックを受けてん。

そこから一年間英語のトレーニングを受けて、
合わせて今まで苦手やった歌に通ったり、
アクティングスクールに行き直したり、
殺陣は続けているし、
アクションとかも始めた。
日本の踊りとかもずっとやっていかなと
思いながら、今年やっと始められた。

アクティング以外の声の仕事とか
司会の仕事に関しても、
スキルは向上してきたかなって思える。 もっと読む
ボクシングとの関わりを見直した3年

ボクシングとの関わりを見直した3年

ーボクシングから離れたんや?

プロの初戦の相手が、
元アマチュアのチャンピョンで。
ただビデオをみてた限り勝てると思った。

俺はアメリカでは無名だから、
チャンスだと感じたし、
結果的にやってよかった。
周りの人たちも覚えてくれた。
度胸試しになった。

ただデビューした段階では、
アメリカでデビューするレベルでは
まだないと言われてた。
時間をとってしっかり鍛えながら
試合をしたほうがいいと言われた。

一戦目が終わってからスタイルを改善して
よりディフェンシブにした。
進化を感じた。自分から行かずにまって
カウンター狙いのスタイルに変更した感じ。

ただ二戦目もいいとこまでいったけど、
判定負けになってしまった。
試合で感じたのは、指を失ったバランスは
完全に治ることではないということ。
限界を感じて、引退としようと思って、
1年半くらいボクシングから離れた。 もっと読む
ビジネスの怖さを知った4年間

ビジネスの怖さを知った4年間

―この4年間で一番挑戦したことは

4年間かぁ色々あったよ。K’z Guest Roomはもうすぐ200部屋に達するし、アパート18部屋を個人で借りてコンセプトハウスというイベントも体験できるシェアハウスも始めたし、何より20代でニューヨークで物件を購入するという目標も達成できたことが大きかったね。

―この4年できつかったなぁってことは?

家を追い出された時はきつかった。中国人オーナーだったんだけど、ずっと住むつもりでいたのにいきなり親戚が来るとか色々な理由をつけてきて。 K’zで200部屋くらいやってるけど今までの7年間一度もそんなことなかったのになぜか俺の家だけそうなって。でもそれをきっかけにコンセプトハウスを始められたから結果には良かったけど。

―今年めっちゃ悩んでた時あったけどあれは?

あん時は本当に悩んだなぁ、結構悩んでた。自分の大義について。ビジネスは順調だけど何のためにやってるのか、俺は本当に何がしたいのかってずっと考えてた。それが開けてきたのは2016年の後半になってきてから。やっぱり自分に会いに来てくれて、人生変わったって言ってくれたり、社員も増えてきて、そういう人たちの人生を背負ってるんだ、そう実感した時にこれが俺がビジネスをやってる 意義だなって思ったな。

あと最近30歳になってまた大きく考え方が変わったよね。20代って若さを使えたけどもう30歳は使えないなって。みんなと同じフィールドに立たされたんだって思った。極端だけど32歳の最年少億万長者マイクザッカーバグとかスティーブジョブズと比べられても文句を言えないってくらい、甘えてられない状況にいるんだって。今までは自分のビジネスって考えてたけど、今は 社員もいるしみんなが食べていけるようにしないといけないよね。ビジネスって楽しいって思ってたけど、社員のお子さんが初めてあった時は小学生だったのに、今や大学受験目前。しっかりビジネスしていかなきゃって、めっちゃ怖くなったよ w
 
2017年も色々と挑戦する予定があるのでそれはまた2017年末に更新させてもらいます。 もっと読む
考え方が変わった2年間
―インタビューから2年間何か変化はありましたか?

自分のインタビューを読み返すと考え方とか結構変わったなって思いますね。例えばインタビューではヨーロッパはすでに考え方が確立されすぎてて自分のアイデンティティを確立するのが難しい、それに比べニューヨークは自由でいいみたいに書いてたと思うんですけど、今は少し変わりました。

今はもっとリミットしないといけないなって思ってます。ニューヨークは確かに自由でなんでもやっちゃえるじゃないですか。でもそれってすべてが浅くなっちゃったりするんですよね。それに比べ最近ヨーロッパで仕事をする中で思うのは、彼らはすごく追求してるんですね。もちろん自由度があるかないかで言うと制限されてるんですが、その分深く追求してる。これからはそれを自分も意識しなきゃなって今は思っています。

もちろんこれってバランスが大事で、自由にクリエイティブにやってたからこそ、反動で今からリミットをかけないとなと思ってるわけで、またリミットを意識して数年経れば、もっとクリエイティブにやらないとって思う時期が来ると思うんですけど。 もっと読む
力のなさに気付かされた3年間

力のなさに気付かされた3年間

2014-2016 年の3年間は色々と挑戦しました。日本ファンを増やすためJ-kuruという日本語を教えるグループを作ったり、「Newyork」「Brooklyn」と名のついた服ばかり着る アジア人を見て悲しくなり、外人に「Japan」「Tokyo」を着せるためだけにスカジャンを売り始めたり。世界を周る中で当たり前に国旗を掲げる国を見て悔しくなり、Japanfesというイベントで日本の国旗を12旗掲げ始めたり。

腸の葛藤を色々な形で表現してきた3年間。そこで気づいたのは俺には力がねえなと。一度ここはぐっと力を溜め次の5年に向けた力をつけねぇとな。そこで今年立ち上げたのが、jforwardです。日本人を世界へ出す、日本を先へ進める、この原点を心に刻み、力をつけようと思います。ギアセカンドです。 もっと読む
とにかく人生で一番辛い3年間

とにかく人生で一番辛い3年間

―あれからどんな3年間どうだった?

25-27歳はとにかく人生で一番辛かった。
名曲「金なし、地位なし、名誉なし」ができたのもちょうどこの頃。やりたいことなど一切できず、とにかくありとあらゆるNYの厳しさにやられ続けた。この期間に大恋愛から裏切り、金銭トラブルを始めバラエティに富んだ試練を経ることに成功。ちなみに初の日本ツアーも経た。

28歳
もがき続けた結果どん底脱出成功。米国アーティストビザ取得や、心機一転、新たなビジネスを立ち上げる。ちなみにプライベートでは「一人焼き肉」「一人ボーリング」は未経験だが、「一人カリブ海」を経る。 もっと読む
空振りの3年間
―インタビューから3年間たったけど、どんなことをしてたの?

乱世を生き抜く力を蓄えるために、人に会い、勉強し、働いた3年間。・・・って仰々しくいいましたけど実際はめっちゃ普通です。親不知に悩まされ鎮痛剤を昼食代わりにした27歳。ポジティブに明るい人生を送ろうと一生懸命不真面目に生きた28歳。彼女と別れ人生を迷走した29歳。そんな平凡な3年間です(笑)

ポジティブに言えば、本格的にニューヨークの社会に飛び出して、結果を出すことと成長することだけを考えがむしゃらに働いた2年間と、人を動かすこと、まとめ上げることの難しさを学んだマネージャー時代を経て、かっこいい男とは何かを知り、世界で戦うための身なりと心構え、スキル、実行力の低さ自分にはとんでもなく足りないってことが分かりました。
一度初心に戻って更に困難な人生に挑戦するために、30歳を迎える直前のこの2016年末に一旦片道の航空券で日本に帰って挑戦しなおしたいと思います! もっと読む
あらたなステージ、シンガポールへ。

あらたなステージ、シンガポールへ。

今は実はシンガポールに住んでて、もう10ヶ月になるんだけど、DJは勿論、ブッキング や、クラブのマネジメントの仕事も手伝わせてもらってる。アミューズという会社がナイトクラブ「MILLIAN」という1000人規模の大きなクラブ/ライブハウスを出すからっ てその立ち上げから携わることになってすごい面白い仕事させてもらってて。シンガポールはいいクラブもいっぱいあるから簡単じゃないけど、目標を持って刺激ある生活を毎日送ってるよ。


DJの仕事で言うと、最近では、MILLIAN含め、色んな箱で大体週四ぐらい?プレイしてるかな。シンガポールのシンボルでもある、Marina Bay Sandsっていう屋上にプールが あるホテル知ってる?あそこのRooftopにあるDJ MAG TOP 100clubsにも入った「Ce’ la vi」ってクラブで毎週帯でやらせてもらったり。あとはシンガポールって安ければ60- 100ドルぐらいでタイとか行けたりして、ベトナムとかミャンマーとかのフェスにも最 近出るようになった。2016年にはULTRA KOREAにも出れた。とりあえずマジで自分 は海外好きやからいろんな国行ってプレイしたい。アメリカにいた時にあまり行けなかっ た東南アジアやアジアを今は攻めたいなと思ってます。
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頑張って達成します。
ー中川さん、この4年間で一番きつかったことはありますか?

今が一番きついよー笑

—今ですか笑

そう、新しく始めたメディアのビジネスが思っていたほどうまくいってないですね。でもこれからどんどんサイトも変えていくのでよくなると思いますね。この事業はかなり可能性があると思ってます。

—旅行代理店から人材紹介、海外出店のビジネスサポートから飲食事業までめちゃくちゃ幅広いですね!そして今度はメディアですもんね。

そういえばイベントの会社もこの4年で始めますね。今はロスで年に数回日本のイベントをやってます。その他にもイベントサポートなどの仕事も受けてます。この事業も去年は赤字でした。せめて黒字にしてくれ、ってこないだ一任してる責任者に言ったところです笑 数万人も来たのにどうして赤字になったでしょうね。そういうことが重なってるということで、今が一番きついときです笑

—4年前のインタビューで2018年までに過去25年間の売り上げを倍にする、と宣言していただきましたがどうでしょうか?

あと2年ですね、大丈夫だと思います。
いや、大丈夫です!
頑張って達成します。
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