『Never Give Up』『Never Say No‼』

Takuma FumotoTakuma Fumoto - 起業家
まさに倒れても起き上がる人とは彼のこと。数々の苦難を乗り越えて、ハンバーガーの本場アメリカで日本人が創るオリジナルバーガーが今大人気のTAKUMAシェフのヒストリーにスポットを当ててみました。

対談者:SAYAKA

SAYAKA

友人の紹介で知り合いました。お話をしていて凄く熱い方なので今回取材させて頂きました。

[公開日] 2017/10/26(最終更新:2017/10/26)

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18歳飲食の仕事に就いたきっかけ

飲食の仕事に就いたきっかけ
SAYAKA― 高校卒業後日本で飲食の仕事に就こうと思ったのは何故ですか?何かキッカケがありましたか?
Takuma Fumoto

生来の人好きもあって、高校生の時から飲食業のアルバイトをしていました。
直接お客様に触れる現場の最前線にいるのが好きなんです。高校卒業後は水商売(ホスト以外)をしていました。高校生の時に姉がバイトしているのを見て、夜の世界に憧れていたんです。

26歳麻布十番でシェフの特訓修行

麻布十番でシェフの特訓修行
SAYAKA― 麻布十番でシェフの修行をされてましたが、ここではどんなことを習得出来たんですか? またこの時点ではシェフとしての将来の夢など描いていたんでしょうか?
Takuma Fumoto

シェフって言うのは大袈裟ですね。夢は全く無かったです。
車の免許を持っているか、料理が出来れば日本で食いっぱぐれる事がない(特に僕みたいに限りなく偏差値が0に近い低学歴には)と、当時の水商売の先輩に教えられたのが初めてでした。
麻布十番では2人で切盛りする小さな店だったので買い出し、受注、ドリンク作り、調理、会計、掃除、帳簿付け、発注まで全ての業務をしました。

28歳脱PAN(渡米)

SAYAKA― 2005年にアメリカに移住されましたが、何をきっかけに移住を決めましたか?
Takuma Fumoto

元々アメリカの国籍も残していたので、口だけ「俺はいつかアメリカに帰るんだ‼」って語っていた不良少年でしたが、なんてコトはない、好きになった女性を追いかけて来たのがきっかけです。笑

彼女を追いかけて来た話は、恥ずかしながら失敗談です。
14年前まだ日本が韓流ブームになる少し前に六本木のBarで知り合った韓国人女性がいました。
彼女はハワイに住んでいたけど語学留学の為に日本に滞在していました。
2週間後にはハワイに帰る予定と言う彼女に、
「それなら残りの2週間を僕と一緒にすごそう」と言って連れまわしたんです。
2週間後に帰った彼女を忘れられなくて連絡を続けた時に、LAに移住すると聞いたんです。
自分の故郷であるLAと聞いて何か偶然と思えなくって、
「それならいつか帰ろうと思ってたし、今がその時だ」と彼女に会いに来たんです。
最初の3か月にソーシャルセキュリティー#の発行に時間がかかった為に収入が滞ってしまい、
日本に残した物を整理しなくてはならなかったし、資金も作り直す必要があったので、
泣く泣く彼女を残し出直すことにしました。
余談ですが帰国後2日に届いた知らせを受けました。
1年後に資金を貯めなおして帰る予定でしたが、
半年後に突然彼女から一方的に別れを告げられて連絡が途絶えた為
貯めた200万円を手に再度アメリカに来ました。
空港からその足で彼女のアパートに来て待っていましたが、
1~2時間後に帰ってきた彼女の車から男性と降りてきたのを見て愕然としたのは忘れません。
その後、彼女とやり直す機会がありましたが、付き合ったり別れたりを繰り返し、
最後には彼女が売春をしていることを知って別れました。
 
 
 
SAYAKA― 実際に移住してから慣れない環境に慣れるまでどれくらいかかりましたか?英語の面等でもお話しください。
Takuma Fumoto

幼少から父の仕事の転勤で海外での生活を過ごして来たので、海外生活や外国人(日本人からして)に抵抗は全くなかったですが、オツムが弱いから言語では未だに苦労しています。
アメリカ資本の日本料理店で働いて役職を得るまで狭い日本人コミュニティーで過ごしてたので5年近くもかかってやっと日常会話がなんとか出来るようになりました。

ハリウッドの著名人との仕事
SAYAKA― 大手レストランでヘッドシェフとして、ハリウッドの著名人達とお仕事していた時のエピソードをお聞かせください。
Takuma Fumoto

ヘッドシェフを任された新店舗の開業記念に忙しく働いていたんですけど、オープンキッチンのカウンター向かいに聞き慣れた甲高い声の黒人が料理を絶賛してくれるので顔を上げて見てみたら、Chirs Tucker(映画Rush Hour)が手羽先をホウバッてました。笑
その他にRapperのSnoop Doggに会ったりもしました。

33歳リーマン・ショックによる不況

リーマン・ショックによる不況
SAYAKA― これまで順調だった生活がリーマンショックで一転したと有りますが、この時はどんなことを考え、どんな行動をされましたか?
Takuma Fumoto

Laid off されたんです、って言うか会社が労災を払いたくないから本人から自主的に辞めるように仕向ける工作をするんです。
「会社が存続する為に」を楯に慕ってた上司まで全員が自分達の職を維持する為に敵になって、会社に嘘をついてまで相手を陥れて追いやる、醜い事件を幾度も見せられ、自分も被害に遭いました。
転職した先でも、最初に話していた条件を平気で覆され、「この不景気に再転職する先があるなら辞めれば?」って笑われるさまでした。
とにかく生活費が必要だったのと、英語力が極めて低かったのを自覚していたので、ウエイターの仕事を探して、独立をするのに資金が必要なのでバイトを3軒掛け持ちして週6日1日15時間以上働いて、1年で約$20000貯めました。

37歳ケータリング会社を始めるがパートナーの裏切り

ケータリング会社を始めるがパートナーの裏切り
SAYAKA― 2012年にパートナーとケータリング会社を始められましたが、そのごどんなことでパートナーに裏切られたのですか?その時の心境は?
Takuma Fumoto

自分の汚点でもあるので恥ずかしい話ですが、こちらで生活しているとよくあるコトで、日本人の気質を熟知している者が言葉巧みに歩み寄って来て言語や生活習慣のアドバンテージを利用して喰い物にするんです。
例えば日本人特有の【遠慮】ですが、2人でいる時は問題無く彼も遠慮するんですが、状況が変わると途端に「あっそう、要らないんだったら頂きます」って総取りするんです。
後になって、「君が要らないって言うから」とか「ココはアメリカだ」とか「僕は日本人じゃないから分からない」などと言い訳をする。
前の彼女や前妻が日本人だと言う外国人には気を付けて下さい。

僕の場合は簡単に説明すると、仕込みなどの重労働は言い訳をして参加せず(発足時に自分もやると約束した)、税金などの自分の割り当てられた担当は隠してやらず、マーケットには来てレジを担当して売り上げから折半の儲けは持って行く。
自分の親族を事業に捻り混んでアイデェアを盗み取らせ、必要なくなったら「はい、さようなら」です。(僕の場合気付いたので、彼の親戚には全部は教えてないで、彼が独立後に$6000も損失して八ツ当りされましたが)
その時も今も2度と会いたくないですし、これ以上お話出来る思い出はありません。

39歳露天商になる

露天商になる
SAYAKA― 露天商を始めようと思ったのは何故ですか?ここからがバーガー店の始まりですか?また何故バーガー店を始めようと思ったんでしょうか?
Takuma Fumoto

露天商を始めたのはパートナーシップを終らせる前で、ファミリービジネスで金銭的に余裕のあるパートナーが仕事を取って来ないで困窮する僕を都合良く使おうとするので、自分で始めました。
雇用者には戻りたくなかったですし、自分が企画したアイディアで成果(儲け)を出してたので、商売をして稼ぐ自信はあったんです。
あとパートナーを見て「こんな人でも経営者になれるんだ」って変に勇気がついたんです。
人が成功する絶対条件に【前人未到の所業を成す】と信じてるので、地元のLA(治安が悪い所)で日本人が露天商したら面白いだろうって思ったんです。
今までハンバーガー店で務めたことは一度もありません。
当時Umami Burger などの流行りもあって、ハンバーガーブームが来てたんです。
自分の料理技術でアメリカの土俵で勝負したらどんな結果がでるか挑戦したかったんです。
今でもそうですが、日本人にとってラーメンみたいにアメリカ人には美味しいハンバーガー屋さんを見つけるのが楽しみみたいです。

フードトラック開業にあたり
SAYAKA― 露天商からフードトラックを開業するにあたって構想は前から有ったんですか?
Takuma Fumoto

はい、いつまでも露天商じゃあいつか保健所に捕まって面倒になるし、夜中の営業で治安の問題と共にriskもかなりあるので、いつかは店を持ちたいけど、最低でもフードトラックからでも1つずつ事業を展開していこうと思って始めました。

SAYAKA― 実際にフードトラックを始めてからの毎日はどうですか? メニューがかなり豊富ですが、メニュー造りのエピソードもお話しください。
Takuma Fumoto

今は正直フードトラックを始めて前より大変です。
なぜなら露天商の頃と違ってトラックのリース費(ローン代)や人権費などの出費が発生してるからです。
前は1人で勝手にやって来れたけど限られた場所で限られた時間しか営業出来なかったんです。
今は保健所の許可を得て大手を振って仕事が出来るので大きく稼げる場所への移動が可能で営業時間も気にしなくて良いですが、フードトラッカーになって特別感が無くなったことと、悪い日は損失を出すコトもあるからです。
つまりhigh risk high returnになったということです。
まあビジネスでは事業を拡大する時に必ず伴うコトですが、慣れるまでの辛抱です。笑

メニューは別に豊富とは思ってません。
もともと居酒屋で調理を憶えたのでメニューの多さには慣れてますし、テクニックも知ってます。
ハンバーガー自体は同じでソースにバラエティをつけたんです。
アメリカ人はソースが大好きな国民ですし、その方がkitchenの作業や仕込みが効率的だからです。
メニュー作りは今までの料理経験から得た物や、美味しいと思った他店の味を自分でアレンジしたり、例えば日本のマクドナルドなどを参考にしたりしています。
幼少の頃育った味なので、コッチの人の好みの味は理解しているつもりです。

メッセージ読者とこれからアメリカ進出したい人へ

読者とこれからアメリカ進出したい人へ
Takuma Fumoto

一言で言えば『諦めるなっ‼』です。
廃校になってしまったくらい不良の高校卒業のロクデナシでも命懸けでやればコレくらい出来るんだと見せたいです。
日本の若者に、日本人の技術や教育水準がどれだけ高く世界に通用するか知って、小さな島国から外に進出する機会を作れたら嬉しいです。

僕の名前の由来をアメリカ人によく聞かれます。
アメリカ人は漢字に興味がある人が多くいるのでしょう。
僕は琢磨=『切磋琢磨』の由来を子供の頃からのお気に入りの映画《Top Gun》になぞって『Up there with the best of the best!!』と答えるコトにしています。
『Never Give Up』『Never Say No‼』みたいに不屈の闘志を日本の若者に理解して欲しいです。

因みに、お気に入りの格言はある漫画(大好きです)から引用して、

『人の足を止めるのは絶望ではなく諦観(あきらめ)
人の足を進めるのは希望ではなく意思』

です。
日本の若者や現在進行で頑張ってる全ての奴らにこの言葉を贈ります。

Takuma Fumoto

Takuma Fumoto - 起業家(Age:41)
脱PAN年齢:28歳(
海外出るとき捨てたもの:テレビゲーム、女遊び、悪友との繋がり
ロサンゼルス(在住経験地:
,

今後の挑戦

  • 今後の目標は、LAの日系コミュニティーでフードトラックは未だ未開発に近い新興の業界です。 ですので僕が先陣をきってコノ業界の発展に尽力したいです。 日経Food Trucker協会の設立(後の参入者へのサポートになればと)、多目的対応型の日本食フードトラック会社ができたらなど、考えは山程ありますが、それだけ未開発でエキサイティングだと理解して頂ければ幸いです。 野望は常に『前人未到の快挙を成す』コトです。
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