To be honest, to be real… 正直に生きつつ、ホンモノでありたい。

NAMI (Namiko Suzuki)NAMI (Namiko Suzuki) - ダンサー
4歳から器械体操をはじめ(1989全国YMCAジュニア体操大会個人総合4位)12歳からダンスに転向し、ジャズダンス・ストリート・日舞と様々なジャンルを習得。(直派若柳流2010年師範取得・若柳美次)15歳で初めてバックダンサーの仕事を経験。1998年より川崎悦子氏に師事し(2001-2005 BEATNIK STUDIOアシスタント)NOA DANCE ACADEMY/IDA町田校/Beastar渋谷校/DA東京Studio Turns/Studio55等 都内を中心に、様々なダンススタジオや専門学校で教える傍ら、舞台の出演・振付、クラブシーン等のゲスト出演多数。JAZZ/CLUB JAZZ/GIRL'S HIPHOP/HIPHOP等、幅広いジャンルを教えてきた。長期にわたって東京で華やかな活動していたにも関わらず2011年LAに渡米し、アメリカでプロのダンサーとして活動をしているNAMIさんにこれまでの経験をインタビューしてきました。現在は結婚、出産を経て、ラスベガス在住。Movement Talent Agency 所属だ。

対談者:SAYAKA

SAYAKA

バーベキューパーティーで大分前に知り合いました。お互い夢を持ち、FBなどで交流が続き 気がついたらお子さんを産んでエンターテイメントの本場べガスにいると知り、早速コンタクトをとりました。

[公開日] 2017/09/03(最終更新:2017/09/08)

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人生を変えたダンスを始めたきっかけ

ダンスを始めたきっかけ
SAYAKA― ダンサーになろうと思ったきっかは何ですか? 子供の頃器械体操もやっていたと伺っていましたが、何か身体を動かすことに共通点はあったんでしょうか?
NAMI (Namiko Suzuki)

元々、身体を動かすことが好きで、器械体操はYMCAの大会で成績が良かった後、一時期、日体大の体操教室のオリンピック選手養成コースにトライした事もあったのですが、キツすぎて続かず。
TVでダンス甲子園や、映画フラッシュダンス、少年隊のPlay zoneを観て、中学に入ったらダンスをやろう、あちら側に立ちたい、と感じたことを覚えています。

15歳大人に混じり5万人の前で踊る

大人に混じり5万人の前で踊る
SAYAKA― 横浜スタジアムで5万人の前でバックダンサーの初仕事をされたそうですが、何がきっかけで、こんな大きな晴れ舞台に立てたんでしょうか?
NAMI (Namiko Suzuki)

時代が時代、バブル期の終わり頃。知り合いの先輩ダンサーがツアーダンサーをされていて、現地ダンサーとしてピックしてもらいました。親には観に行く、といって内緒で。私だけ15歳でしたが、周りは大人ばかりでした。

SAYAKA― 周りは大人ばかりの環境で、その時不安じゃなかったですか? それとも結構大人なティーエージャーだったんでしょうか?
NAMI (Namiko Suzuki)

年齢はただの数字。自分は大人と同等に接されるべきと思っている生意気な若者でした。笑

SAYAKA― 15歳で5万人を目の当たりにした時感じたことは?
NAMI (Namiko Suzuki)

貴重な経験で、ただ純粋に嬉しかったです。でも、お客さんの視線はメインのアーティスト。バックダンサーってバックなんだなー、とも。

進学大学受験

SAYAKA― そんな大好きなダンス活動を半年停止して、大学に行こうと思ったのは何故ですか?、もう既に色々活動されていたから、ダンスで喰って行ける状態ですよね。
NAMI (Namiko Suzuki)

元々、エスカレーターで附属の大学に進学することも出来たのですが、ダンスで夜遅くなったり年上の大人との交流が多かったり、大分、両親に心配をかけた高校生だったので、やる事をしっかりやって、第一志望に合格すればダンサーとしても認めてもらえるだろう、と。
大学に行かない事は考えていませんでした。

19歳TRFバックダンサーオーディション

TRFバックダンサーオーディション
SAYAKA― オーディションに受かりTRFのバックダンサーをわずか19歳で務めたとありますが、このオーディションは一般募集だったんですか?この時のことについて教えて下さい。
NAMI (Namiko Suzuki)

2年連続でやらせてもらいましたが、どちらも一般募集。1年目は全国各地で現地ダンサーを。私は東京、日本武道館でのダンサーでした。2年目は東京のみのオーディション開催。確か約1000人の中から受かったのは18人だったと思います。

26歳MySpaceを有効利用3ヶ月ダンス留学

MySpaceを有効利用3ヶ月ダンス留学
SAYAKA― LAに3ヶ月ダンス留学をしたとありますが、これはなぜ?なにがきっかけで? またこの3ヶ月で何を得ましたか?
NAMI (Namiko Suzuki)

19歳の頃から、LAやNYには年一回、レッスン受ける目的の二週間位の旅行はしていたのですが、イベントを休止するタイミングで、今じゃないとまとまった期間とれないから、とビザ無しギリギリの3ヵ月。
レッスンだけでなく、英語のレジュメも用意し、ヘッドショットも撮り、オーディションも受けまくって、ミュージックビデオやカーニバル(ダンスイベント)に出たりアーティストのショーで振付も。唯、最終オーディションまで残ってビザが無いから出来ない、という悔しさも味わいました。

SAYAKA― レッスンの為の短期間旅行で、オーディションを受たり、カーニバルに出たり振り付けたりって凄く無いですか?その行動力は、どこから来たんでしょうか?普通3ヶ月で中々そこまで出来ないと思うんですが...また、そういう情報とかってどこで仕入れたんですか?
NAMI (Namiko Suzuki)

そもそもレッスンだけでなくやれる事は全てやろう、と決意して、日本でのクラスをお休みにしてまで行ったので。当時はMY SPACEの時代。レッスンで知り合ったダンサーとMY SPACEでつながり、プロジェクトに誘ってもらったり、スタジオの掲示板に貼ってあるオーディションや、Craiglistに載っているものまで行きました。カーニバルは日本で一緒に仕事したダンサーのナンバーに誘ってもらえたのでありがたかったです。image3

31歳脱PAN

脱PAN
SAYAKA― その後日本に帰国して、 劇団 新感線(の舞台や、ダンス専門学校の講師、ジャニーズの振り付け等順風満帆な活動をされていますが、また31歳でアメリカに行こうと思ったのはなんででしょうか?  
NAMI (Namiko Suzuki)

LAで3ヵ月過ごした時に一緒に踊ったり、私の振付を踊ってくれたダンサー達が、メジャーアーティストのバックダンサーや振付をしていて活躍し脚光を浴びているのを目の当たりにし、アメリカのインダストリーの中でのダンサーの評価が、当時の日本のものとはやはり違うな、と感じました。30歳過ぎて日本だと、もう、インストラクターか振付の方の仕事ばかりになって、表で踊る仕事が減り、もう後がない、今しかないな、と。

SAYAKA― 日本での成功を捨てて海外に出ることに不安はなかったですか?
NAMI (Namiko Suzuki)

不安だらけでした。アメリカで、またゼロに近い所からのスタートになるのはキツかったです。でも、LAで活躍している若い外人ダンサーは数多くいれど、私にはキャリアや実績がある上に、行動力を持ってトライするのだから説得力があるはず、と。

https://www.youtube.com/watch?v=azVJKPZDBaA&feature=youtu.be

SAYAKA― 実際に渡米前からアメリカでの仕事は何か確約されていたものがありましたか? どういう感じでアメリカでの仕事にありつけたのか、オーディション等なにかストーリーがあればお聞かせ下さい。
NAMI (Namiko Suzuki)

渡米直後は学生として生活し、語学を学び直す所からスタートしました。日本で学歴はあっても、純ジャパですから。(帰国子女ではない上智生はこう呼ばれていました)
オーディションでも、グループの中で先頭になり、1人ずつカメラの前で、もちろん英語で自己紹介をしなければいけない時に、緊張し過ぎて普段忘れるなんてとんでもないダンスの振付が分からなくなった事も。言葉の壁は厚いですね。
受けれるオーディションは全て受け、エクスプロージャー的なプロジェクトも沢山やり、沢山の振付師やダンサーと知り合い、アーティストビザを取得してようやくちゃんとした仕事のオーディションに行けるようになりました。

 

 

世界で活動するにあたって日米の違い

SAYAKA― 日本とアメリカの違いは、どんなところですか? またご自身が来て変わったことがあればお話しください。
NAMI (Namiko Suzuki)

日本のダンス業界もダンサーも、私がいない数年で目まぐるしく変化し、世界で活躍する日本人ダンサーが増えていて嬉しいです。1番違うと思うのは、ダンサーとしての仕事の数、ですかね。ダンサーとしてのクオリティーを求める仕事の数。日本にも数多くの素晴らしいダンサーがいますが、インストラクターとして生活しているのがほとんどだったり。アメリカでは、スキルはあっても、インパクトやスター性等がないと目にも留めて貰えない事が多く、オーディションの機会はアメリカで減っていってる、とはいえ、日本の比ではないと思います。

 

35歳意識を失い救急車

SAYAKA― 渡米後崖っぷち体験等ありましたか?
NAMI (Namiko Suzuki)

未だに崖っぷちといっても過言ではない気もしますが。笑
35歳の時、意識を失い倒れて救急車で運ばれ3日間入院。疲労かストレスか脱水症状か、はっきりした理由は分からずじまいでしたが、ヘビースモーカーだったのをすっぱり禁煙しました。未だに一本も吸っていませんよ。

SAYAKA― 大変でしたね。実際に病院代とか大丈夫だったんですか?その後の体調は? また未だに崖っぷちって、何故ですか?お話聞いてる限りだと、アメリカで成功した一人に思いますが。
NAMI (Namiko Suzuki)

幸いオバマケア以降、ちゃんと保険に入っていたので、だいぶ助かりました。それ以降、元気ですが、水分補給はバカに出来ないな、と。周りの同年代も似た環境の友人が多く、女の35歳はそういう、カラダに変化の起こる時みたいです。
今迄やってきた事を活かせるアウトプットが固まっていないので、まだ、成功と呼ぶには程遠いかと。つい今年に入って結婚、出産と、大きな環境の変化があったので、先ずは体型を戻す所からスタートですね。子育てが落ち着いたら、ビジネスパートナーのオファー募集中です。笑

今後について目標、夢、野望

目標、夢、野望
SAYAKA― 今後の夢、目標、野望はありますか?
NAMI (Namiko Suzuki)

子育てが少し落ち着いたら、ダンスに戻って、今迄より、振付やディレクションや、日本人ダンサーがアメリカで活動するお手伝いが出来たらいいなのと思っています。場所は問わず、日本でもアメリカでも、どちらでも出来たら嬉しいですね

贈る言葉チャンスを掴め

SAYAKA― 海外へ出ようか迷ってる人へメッセージを送るとすれば?
NAMI (Namiko Suzuki)

昔に比べ、スマホのおかげで何でも簡単に。やる気があればいくらでもチャンスは転がっている分、活かすかどうかは人柄や努力次第。海外である以上、”外人”になるのです。守られた日本の中では中々出来ない経験、するだけでも意味があるのでは?image7

NAMI (Namiko Suzuki)

NAMI (Namiko Suzuki) - ダンサー()
脱PAN年齢:31歳
アメリカ ラスベガス(在住経験地:, , ,
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