本場のHipHop業界に旋風を巻き起す若き開拓者

R-nabyR-naby - HipHop artist
ニューヨークに来てわずか三年、並々ならぬ努力を重ね、数々の苦難を乗り越えて年間150本のステージを披露するまでに成長。本場のHipHop業界でアジア人として前人未到の高みに挑戦する27歳。

対談者:Akimi Okuda

Akimi Okuda

ニューヨークに挑戦する前、この溜まり場でDJ Martinの挑戦を見ていたという彼。今、見る側から見られる側へと成長したスーパー努力家の潔い生き方に迫ります。

[公開日] 2016/12/30(最終更新:2017/03/17)

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24歳本場ニューヨークでの挑戦へ

本場ニューヨークでの挑戦へ
Akimi Okuda― どうして海外に出ようと思ったのですか?
R-naby

当時の若かった勢いですね。それしかないでしょ。今から思えば「俺、海外でできるんじゃねえ!?」って言うバカな勘違い、変な自信があったんだと思う。

Akimi Okuda― 勢いで飛び込んだって感じなんですね。
R-naby

20代はまだ勢いで飛び込める。それが30代になると悩んだり、本当に大丈夫かななんて思ったりするようになる。でも、結果を出すかどうかはその先の話で、実力はやっていくなかでついてくる。

要は、やるかやらないかの選択を迫られた時に、やると決めて飛び込める勢いがあるかどうかですね。

中学〜20歳HipHopとの出会いから本気で極める決意

HipHopとの出会いから本気で極める決意
Akimi Okuda― HipHopとの出会いは?
R-naby

俺、姉がいるんすけど、その姉がエミネムが好きでよく聴いてたんですよね。で、あんたも聴いてみたら、みたいなことを言われて聴き始めたのがきっかけでした。それがいわゆるギャングスターラップっていうもので、歌われている内容が当時の自分の姿と重なって共感できて、単純にカッコいい、これヤバいって思ったんです。それからずっとHipHopばっかり聴いてましたね。

Akimi Okuda― それまではどんな生活を送っていたんですか?
R-naby

昔から年上の人と遊ぶことが多くて、中学の時も例えば俺が中2の時は中3の先輩ばっかとつるんでて、同級生に友達はいなかった。

でも、自分が中3になると上がいなくなるじゃないですか。本当は友達が欲しかったけど、同級生の中では素直にそれが言えなくて、次第に他校の不良とつるむようになったんすよ。

で、俺って昔から目立ちたがり屋で何でも一番になりたかったから、不良の中でも喧嘩とかするからには一番になってやろうって気持ちで他の不良グループの頭とやりあったりして、結局16〜17歳で地元の不良の中で完全に頂点を極めたんすよね。

Akimi Okuda― そこからどうやってHipHopの道に入って行ったんですか?
R-naby

俺は京都の西京区の出身なんすけど、隣の長岡京市っていうところの不良の頭と仲良くしてて、そいつがある日DJをやり始めたんすよ。で、その友達の先輩が今度イベントをするから、お前もHipHopやってみろよって言われて。

先輩から言われたことだから断りづらいじゃないっすか。それが最初のステージで30人くらいの小さい規模だったけど、ステージに上がると自分がその中心で一番になれた。そのスーパースターになったような感覚が自分には気持ちよくて興奮を覚えたんすよね。

 

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Akimi Okuda― そこからHipHopを本気で極めようと思ったのには、何かきっかけがあったのですか?
R-naby

本気になってHipHopに目覚めたのは20歳の時でしたね。HipHopの世界には地域ごとに派閥があって、当時、他の地域と「どっちの音楽がいいか」で張り合ったことがあったんすよ。でも、その地域の奴らの方が先輩だったから、後のことを考えると手出しができなくて、自分たちがただ殴られるしかなかった。

仲間たちが悔しくて泣いてる姿を見て、俺は絶対音楽で見返してやる!ってその時、本気のスイッチが入ったんやと思います。

上京最愛の彼女との別れ

最愛の彼女との別れ
Akimi Okuda― そこから今に至るまでずっとHipHopの道を歩んでこられたわけですけど、その中で究極の選択を迫られた時はありましたか?
R-naby

上京する前に当時付き合っていた彼女と別れる選択をした時ですね。その彼女とは四年付き合って三年同棲していました。彼女の方が5歳年上だったこともあって、彼女は普通に結婚して子どもを産んでっていう女性としての幸せを取りたかった。

でも、俺は東京で夢を追いかけたかった。すごい好きやった彼女だったけど、自ら別れを選んで夢をとった。今まで一緒にいた人が突然いなくなって本当に辛さしかなかったです。

Akimi Okuda― 別れを告げた時、彼女はどんな反応でしたか?
R-naby

別れる時に彼女から言われた言葉があるんですよ。「今、私と別れるんやから、絶対夢を叶えてや、絶対掴んでや」って。この時、別れを選んでいなければ、今の俺はいないですね。

24歳〜27歳本場での挑戦・苦難を超えて最高の自分へ

本場での挑戦・苦難を超えて最高の自分へ
Akimi Okuda― そこから上京して、成功して、さらにNYにまで来られますが、海外に出て初めて気づいたことはありましたか?
R-naby

日本の音楽の世界には年功序列があって、音楽を「あれは良い、これは良くない」と評価し過ぎ。こっちでは音楽は生活に根ざしているもので、そこに良いも悪いもない。

アメリカ人にとっての音楽は、日本でいう「いただきます」「ありがとう」「こんにちは」っていう挨拶と同じくらい、当たり前のものとして身近に存在しているんです。

これはもうこっちに来て、アメリカ人のコミュニティに入っていかなければわからない感覚なんすけど、例えば黒人の家に遊びに行ったら、お母さんとかが音楽に乗ってノリノリでダンスしてたりするんすよ。

こっちの奴らはそんな環境で育っている。そこからして日本とは感覚が全く違いますよね。

Akimi Okuda― 本場の音楽業界はどうでしたか?
R-naby

こっちは頑張った分だけ結果に反映される、それも早いスピードで。日本よりもチャンスが多いから、努力した分だけお金でもなんでも早く反映されて返ってくる。だから一度その波に乗ると、面白いほど結果が早くついてくるんです。

 

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Akimi Okuda― 生活面では何かギャップはありましたか?
R-naby

こっちの奴らは適当すぎる笑。良い適当さもあるんすけど、時間にルーズだから待ち合わせなんてあってないようなもの。これはいまだに疲れる笑

Akimi Okuda― 英語は問題なかったですか?
R-naby

全然ダメでしたよ。俺、中卒だし、学校でもテストで0点取ることを義務にしていた位やから、全くできなかった笑。でもこっちに来たら、クラブでステージやらしてほしくて連絡取り合うのでもなんでも、当然英語でやらなきゃ生きてけないわけですよね。

だからもう開き直って、取り繕うのでも、誤魔化すのでもなく、学ばせてほしいっていう気持ちで接していったんです。俺、全くわからへんから、教えてくださいって。で、わからない言葉が出て来たら、それどういう意味?って素直に聞く。そしたらみんな受け入れてくれるし、ちゃんと教えてくれます。

でもやっぱり大変だったから、これから挑戦する人には、せめて英語だけは勉強しておけよって言いたいですね笑

 

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Akimi Okuda― ニューヨークでの崖っぷち体験はありましたか?
R-naby

最初の4ヶ月間ですね。自信満々で来たのに、蓋を開けたら4ヶ月間ライブが一回もできなかった。こんなこと日本でもなかったし、はじめての経験だった。毎日努力はしていたけど、本場は思っていた以上に甘くなかった、誰がアジア人に振り向くかって話ですよ。

自分の出来なささにどうしたらいいのかわからなくなり、現実的に金銭面でも正直キツイと思った。もう無理だ、やめようと思って相当悩んで、親父に電話をしたんです。そしたら「帰って来たらいいやん。悔いが残らないならな」って言われた。その言葉がムカついたんです。

親父はいつもこういう何か裏のあるような言い方をするんすよね。単純に帰って来たらいいやん、だけ言えばいいのに、そのあとになんかムカつくようなことをあえて言う。でも、それがムカついたからこそ、このままじゃ終わらないと思って帰るのを思いとどまった。

そしてその一週間後に、歌わせてくれって飛び込み営業をかけたクラブで初ライブをさせてもらえて、そこから毎週来いと言われ、そのクラブで出会う人が増えて、ハウスパーティに行ってってどんどん道が拓けて行った。

もしあの時、親父のムカつく一言がなくて「帰ってきたらええやん」だけだったら、本当に諦めて帰ってしまっていたかもしれない。だから親父にはすごい感謝してる。

 

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Akimi Okuda― その辛かった経験が、今に生きているわけですね。
R-naby

その後も、泣きたいことも挙げればきりがないくらいあったし、悔しい思いも経験してきた。でもこの最初の4ヶ月があったお陰で、絶対に諦めないこと、そのための頑張り方を教わった。

Akimi Okuda― 例えば、どんなことがありましたか?
R-naby

はじめてブロンクスでイベントのレギュラーを掴んだ時は、ステージに上がって俺がマイクを持った瞬間に、150人いた客が全員引いていった。それでも最後まで歌いきったけど、本当に悔しかった。

その時のライブのメンバーたちは俺のことを舐めてかかってきてたんですよね。だから、そいつらに「見とけよ、絶対に見返してやるからな。アジア人を馬鹿にすんな、俺のことを舐めんなよ!」って思った。

その次のイベントにも出て、客が全員引いている中で言ったんすよ、「お前ら全員引くぐらいなら、ちゃんと見ろよ、聴けよ!」って。そしたら戻ってきたんすよね。だから、そこでへたって出ないとかじゃなくて、そういうことはやっぱり言わないといけない。

振り返っても、悔しいことだらけ、失敗だらけ。でも名前が売れている人は絶対そういう思いをしてきてる。 

 

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家族親父の偉大さ

Akimi Okuda― 崖っぷち体験でお父さんの言葉に救われたわけですが、お父さんの影響は昔から大きかったのですか?
R-naby

俺という人間は親父に作ってもらったと思っている。昔は喧嘩もしたし、万引きもしたし、捕まったこともあるし、勉強は全くしなかった。若い時には実際に経験してみないとわからないことがある。親父はそれを全てさせくれた。お前が納得するまでやってこいって。そのうえで「で、お前はどうしたいんや」と聞かれる。

実際、喧嘩も万引きもしてみると、あとが本当に面倒臭いってことがわかった。親父はそれを伝えたかったんやと思う。経験してはじめて、面倒臭いから次からはやらないと決めた。小遣いが欲しければ自分で稼げ、勉強しなくてもいいけど苦労するのはお前やから好きにすればいい、そんな感じ。

いつも親父に言われていた言葉が「人生一回きりなんやから、納得するまでやれ」だった。そこから中途半端じゃなくて、なんでも極める、納得するまでとことんやるっていう自分ができた。

だから、俺も子どもができたら、親父とまるっきり同じ育て方をすると思う、「自由に生きなさい」って。

現在並外れた努力で築き上げた前人未到の地位

Akimi Okuda― NYに来られてわずか三年という短期間で、年間150本以上のステージを披露されるなど、日本人ラッパーとしてはまさに前人未到の位置まで来られたのは何故だと思いますか?
R-naby

誰よりも努力してきたこと。そこには自信がある。365日一日も欠かさずにひたすら努力を重ねてきた。本当に毎日欠かさずに努力を続けられる人ってそうそういない。でもそれを俺はしてきた。「よくやったな俺」って自分で自分を褒められるくらい。

そして、波が来た時にはちゃんとしっかり乗ること。つま先立ちじゃなくて、ちゃんと腰を据えて両足で立って乗りこなす。タイミングが来た時にちゃんと波に乗れるように、毎日努力して準備をしておくことが大切。普段努力していない人は、準備運動ができていないから、波に乗ったとしてもすぐに倒れてしまう。

 

これをしてきたからこそ俺は今ここまで来れたと思う。今年7月の超大御所レコード会社Def Jam『Def Jam private event』への日本人初出演、8月のNY HipHopラジオ局Hot97のイベント出演という日本人としての快挙を成し遂げられたのも、誰よりも努力を続けてきたから。

 

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Akimi Okuda― どうしてそこまでストイックに努力を重ねることができるんですか?
R-naby

人生は一回きりだから納得がいくまでやる、そう思ってるから。やるからには極めたい、そこはブレないし、自分を信じている。自分を信じていないとやってられないでしょ。他の誰でもなく、自分がやるしかない。だからスーパーストイック。

人生は一回きりってことは当たり前なんだけど、だからこそ意識していない人が多い。「人生は一回きりだから」、そのことを本当によく考えて欲しい。

Akimi Okuda― 人生は一回きり、そうですよね。
R-naby

俺は一回きりだからこそ、この人生にかけている。自分がもし悩みを感じたとしても、失敗したとしても、そこからどうしたら成功するか、うまくいくかを考えアクションを起こす。例えばライブでミスしたら、それで悩んで止まるのではなく、練習すればいい。

それから、思い切り努力している姿は絶対に誰かが見ていて、そこからいろんなチャンスにつながっていく。これは、思い切り努力をして失敗したとしても成功したとしても同じ。思い切り努力することに意味がある。

だから、俺は夢を追っている者として、人の悪口は言わない、人のせいにしない、自分にルーズにならない、ただひたすらストイックに努力するんです。人のせいにした時点で、それは自分のせいだと認めていることと一緒。努力を極めた人だけに見える世界がある。このモチベーションキープもアーティストの仕事だと思ってます。

 

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Akimi Okuda― 他に心がけていることはありますか?
R-naby

悩まない、早く決断する。やりたいことをやっているんだから、悩む必要なんてないと思っている。考える間も悩む間もなく決断する。俺は来た仕事は全て即決で取るし、来てないものすら掴もうとしにいく。そうすると勝手に前に進んでいく。

それから、約束は必ず守ること。結局、この世界は人と人との関係で成り立っている。約束を守ることは、信用問題に関わってくる。信用できない人とは仕事はできないですからね。

Akimi Okuda― そんな並々ならぬ努力を重ねたR-nabyさんの目の前には、今どんな景色が見えていますか?
R-naby

言葉にならないくらい、体の底から湧き上がる喜び、感情を味わってます。毎日が楽しくて仕方がない。今見ている景色はヤバいくらい最高で、いつ死んでもいい、今日死んでも悔いはないって言えるくらいの幸せを感じています。最高の人生を送ってきたし、これからも絶対そんな人生を送っていきます。

 

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未来人が認める成功者になる

Akimi Okuda― これからの夢、野望、目標はありますか?
R-naby

ないですね笑。明日が目標、明日の成功、次のライブの成功、ただそれだけ。だって人生には明日しか来ないじゃないっすか。それを続けたら、自然と昔描いていた自分になっていましたしね。

これは目指す生き方にも関係してきますが、今は今しかない。だから今を生きるだけですね。音楽にゴールはないって思ってます。

Akimi Okuda― じゃあ、ただひたすら今を生きる、その積み重ねですね。
R-naby

そう。でも、人が認める成功者になりたいっていう思いはありますね。お金をたくさん得るとかじゃなく。海外に出て来てさらに日本が好きだという気持ちが強くなったし、若い人たちがどんどん挑戦していくきっかけを作っていきたい。そのために努力して、誰もが挑戦しやすい道を作るのが、俺の第一人者としての役目だって思ってます。

365日努力するっていうのは、正直言って結構辛い。でも、頑張ってきたからこそ言えることがあるし、努力してきたからこそ発する言葉に重みがある。だから今まで努力してきた中で無駄だと思うことはひとつもないです。そこで出会った人、経験したこと全てが、お金にならない財産のようなもの。

もうここまで来たら日本に戻ることもないと思います。いつか「昔、R-nabyっていう人がいて、その人はアジア人が今まで入り込めなかった本場のHipHopの世界に道を作ってくれて、何十年以上もみんなに愛されたんだよ」なんて言われたいっすね笑。

 

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メッセージ人生は一回きりだから、自分の気持ちに正直に

Akimi Okuda― これから海外へ出ようか迷っている人にメッセージを送るとしたら、どんな言葉をかけますか?
R-naby

自分の気持ちに正直に生きればいい。人生一回きりだから。心から挑戦したければすればいい、行きたいと思ったら行けばいい。全てを犠牲にしてどうなってもいいという気持ちがあるのなら、今すぐ挑戦すればいい。お金とかビザとかそんなものはあとからなんとでもなる。

でも、もし1%でも不安があったり、中途半端に悩む気持ちがあるのなら、それはどこかで挑戦したくない自分がいるということ。その自分の心に素直になればいい。

でも、自分が変われると思うのならそうなれる。夢を叶えられると思えば叶えられる。あとは、それを50%の力で信じるのか100%の力で信じるのか、変わることや夢を叶えることに対する本気度の違いが、そこから変わっていくかどうかを決めていくと思います。  

 

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R-naby

R-naby - HipHop artist(Age:28)
脱PAN年齢:24歳
ニューヨーク(在住経験地:,
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