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ファッションが個性?

[公開日] 2015/04/12(最終更新:2017/02/23)

いつからファッションが個性を表すという価値観が浸透したのだろうか。

 

歴史を辿ればファッションは階級を表すものだった。聖徳太子の冠位十二階もそうだし、江戸時代の侍の髪型、帯刀の権利、ヨーロッパの貴族の白髪もじゃもじゃのカツラ。

時代が変わればそれらはオシャレでもなんでもなく、ちょっとプッと笑いたくなるようなものばかり。ハンガーゲームという映画を見ると、なるほど都市の住民はとんでもない格好をしている。

つまり無駄の最高峰である。無駄にお金を使い無駄に時間をかける、それこそが富の余裕を示し、貧乏人では真似できないため差ができる。

その証拠に昔から乞食の姿は変わらない。ロン毛でボサボサ、ヒゲも長い、服はシンプルかつ小汚い。

なんとブレのないことか。

西郷隆盛、北条早雲といった過去の英雄は最後まで贅沢な暮らしをしなかった。民が苦しんでいるのに自分が裕福な暮らしができるか、と。

ニューヨークの本当のお金持ちは普通の格好をしている人が多い。どちらかというとよく商店街で見かけそうなおっつぁんだ。

人間の欲望、これが他者のものにまで手を伸ばすから戦争は生まれる。古代ギリシャのソクラテスは何度も国家のあるべき姿を語り、必要以上のことを求めてはいけないと諭し続けた。無駄を求める人がい続ける限り世界なんてよくはならない。

あげくの果てにはファッションが個性と言い出す始末。

これは紛れなもなく1980年代ー90年代にかけてファッションビジネスが主軸のヨーロッパが仕掛けたマーケティングである。

毎年トレンドカラーやデザインが変わるこの業界のどこに、本質的なものがあるのか。変わらない一つの軸はあるのか。本質的なファッションの型はあるのか。

個性はトレンドによってコントロールできるものなのか。人間は外見で個性が決まるような単純な生き物なのか。

高い服を着てる人は欲深く、何よりださい。世界の価値観がこれくらい傾かないと、世界の貧困問題はよくはならないだろう。

ファッションはただのトレンドである。

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